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博多座配役決定 [┣宝塚情報]

博多座「マラケシュ」の配役が出た。
主要な役替りは、次の通り。

レオン(樹里)=彩吹
クリフォード(彩吹)=未涼
イヴェット(遠野)=華城
ギュンター(蘭寿)=愛音

現公演の序列では、男役は、春野>樹里>彩吹>蘭寿>未涼
娘役は、ふづき>遠野>桜乃≧華城
なので、その序列がそのまま移行するのであれば、
クリフォード、イヴェットの重要性が薄れるということだろうか?
娘役のイヴェット=華城については、新公配役をそのまま持っていっただけ、という説もある。が、少なくとも東宝公演を見る限り、この芝居はダブルヒロインの芝居だ。遠野と同じ力量の女優でなければ、あのドラマは成立しない。
また、男役の序列がしっかりした花組では、少なくとも、クリフォードよりギュンターの比重が重くなければ、おかしい。

「マラケシュ」という芝居は、主演コンビの関係性の薄さがひとつの特徴にさえなっている。なぜなら、オリガ(ふづき)は、夫・クリフォードを探しに最果ての街を訪れたからであり、リュドヴィーク(春野)は、イヴェットとの過去の恋がその心の大半を占めているからだ。
彼らは、自分がフリーではないことを自覚しながら、そこから逃れようと束の間触れ合ったに過ぎない。それでも一瞬、たしかに、二人の思いはひとつになる。
その一瞬に見た二人の夢は、ギュンターの凶刃によって永遠に閉ざされることになるのだが。
そういう特異な世界を、主演コンビでみせる宝塚という世界で上演してしまったところに、オギー(荻田浩一)の確信犯ぶりがうかがえる。
宝塚という美しい夢の世界には、儚い恋物語が似合う。
が、オギーの「儚さ」は、たとえば「うたかたの恋」のような結実はしない。男は、常に孤独で過去に囚われていて、女は、一瞬の恋に一度は我を忘れるが、やがては現実世界に戻っていく。主演男役だけが、孤独の中に取り残される。その孤独感が、主演男役という立場の孤独と相俟って独特のニヒリズムを生む。(ただ、オギーのニヒリズムは、リリカルなので、女性に受け入れられ易い。)

大劇場の芝居2作目で、既にオギーワールドが確立しているのに、博多ではこの図式を壊すのだろうか?
いや、観ないと損するオギー@博多。新たなマラケシュが展開するに違いない。敢えて役替りをしない、桜乃@ソフィアがカギを握っているのかな?どうやら、結婚すべきウラジミールは存在しないらしいし…。
友人のMちゃんは、まっつ@ギュンターが観たかったらしいが、残念だったねぇ。


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