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ディアボロの目的 [┣公演内容の考察・検証]

「ロマンチカ宝塚’04-ドルチェ・ヴィータ-」は優れたショーだと思う。
観客だけでなく出演者も楽しめる内容だったに違いない。だから、博多座でこの作品を演じた時、ケロさんは退団を決意したのだと思う。
この作品に限らず荻田浩一作品は、展開がスピーディー(幕で展開を分断しない)で、一貫性があり、謎と矛盾を秘めている上に、スターが舞台に上手に散らばって登場するので、一度ではすべて確認できず、何度も観てみようという気になってしまう。これを、業界用語で「荻田マジック」と呼んでいるらしい。
そして、さらに恐ろしいことには、荻田マジックに嵌まって何度も観劇したファンは、自分が観たものを確認したくて、つい作品論をブってしまいたくなるのだ。そしてこれを聞いた友達は、友人の言ったことを確かめたくて、自分も何度か観てしまうのだ。恐ろしい観客動員の罠である。
(ただし、今のところ、この罠はショーにしか発動していない…と私は思っている。)

というわけで、私も語りたい。ディアボロの目的について。
(以下、このショーを観た人にしか分からない話になります。すみません。)

ディアボロは、博多座にはいなかった。
大劇場公演の時に全体を通して登場するキャラとしてディアボロが設定された。久々に星組に帰ってくる安蘭けいの為の役として。それと同時に、地中海を巡る断片的なスケッチだった各場面は、一つの連綿とした物語のシーンに生まれ変わった。シーンとシーンは相互に繋がり、最後に冒頭のカーニバルに戻っていく。終りなき悪夢のように。
博多座でも、闇の世界はあった。
コーザノストラ(イタリアマフィア)の世界や、青の洞窟など。
大劇場ではこれら闇のシーンが、ディアボロの差し金であるかのように展開する。
ただディアボロには、人をその場に誘うことはできても、それ以上のことはできないらしい。だから、ディアボロの思惑はすべて外れてしまう。
人間も海神もそれぞれの意志で動くから。
彼はどうも人を魔界に引きずり込みたいらしい。自分が目をつけた人物を。
そのための眷属(海の眷属)もパートナー(サテュロス)も仕える相手(海神)もいろいろと近くに居る。けれど、彼の願いは叶わない。
ドルチェ・ヴィータは、私の中では人間って思っている。
人間だけどサテュロスと一緒になって罠を張ることを厭わない悪女。誘惑して、最後に男をサテュロスに手渡す。それが船乗りSには本気になってしまった。一緒に地獄におちても構わないほどに。むしろそんな相手を探してサテュロスと組んでいたのかも…。
最後に、白い服の紳士が(それは花売り娘Sの恋人だったのだけれど)彼の手を握って魔界に行こうとしてくれる。荒れるわだつみに身を投げて。わだつみは、「海神」。つまり、青の洞窟で少女を帰してしまった海神は新しい犠牲者を待って荒れ狂っているわけ。
なんで紳士がそんな自己犠牲しなきゃならないのかはわからないけど。
で、ディアボロは、ほんとに白い服の紳士を犠牲にして嬉しいのか…。
たぶん嬉しくないはず。紳士の恋人の方(花売り娘S)を狙ってみたりしてるから。けれど、紳士は恋人を狙われて、やっぱり自分が行かなければ…と思ったらしい。実はそのあたりから演出の意図とは別に安蘭と汐美の同期愛の世界が繰り広げられ、白い服の紳士の物語はどこかへ行ってしまっている。
そのままショーはフィナーレへとなだれ込む。ディアボロは目的を遂げたのか、満足したのかはわからない。わからないままでも、このショーの素晴らしさは少しも変わらない。


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