SSブログ

「舞台刀剣乱舞 悲伝」劇場版鑑賞 [┣本・映画・テレビその他エンタメ紹介]

「舞台刀剣乱舞」の劇場版上映も、いよいよ「悲伝」に到着。ここで三日月宗近が姿を消し、物語は第二部へと展開していく大事な節目の公演だ。(シリーズは時系列に上演されていないため、三日月宗近の登場する公演は、その後も上演されている。この作り方はうまいな~と思う。)
「刀剣乱舞」のアイコン的存在である三日月宗近が登場しないというのは、戦略的にマイナス。しかし、原案の設定上、三日月宗近にはどこかで「消えて」もらう必要がある。この設定については、2022年、ようやくゲーム上で明らかになったが、舞台化されたのは、2018年。4年たってようやく「そういうことだったのか」って遅すぎるやろ~[ふらふら]


今回上映されたのは、物議をかもした千秋楽公演。つまり、この千秋楽のストーリーが、今後の「舞台刀剣乱舞」の「正しい歴史」として刻まれていくのだろう。それまでの2ヶ月間の公演を観てきた観客は、今、何を思うのだろうか。え、今じゃないのかな。
舞台は、何日も、長いものでは何ヶ月も、同じことを繰り返し演じ続ける。演じることによって、演者の中でも、いろいろなものが深まっていくし、その日の観客の雰囲気によっても違ってくるから、まったく同じ公演はない。細部の違う、大枠が同じものを繰り返す。それが舞台だ。
それは、三日月宗近が繰り返す歴史と同じようなものかもしれない。いや、千秋楽があらかじめ決まっているところが違う。三日月宗近がその歴史の繰り返しから逃れる方法は、山姥切国広に敗れること。それが三日月宗近の千秋楽だ。それを公演の千秋楽に仕掛けることは、演劇の内と外が、その千秋楽で繋がることを意味する。
それって永遠に続く「メビウスの輪」から逃れるために、内と外を繋げる「クラインの壺」に閉じこもるようなものじゃないか。どっちも地獄だな。
背景となる物語は、「永禄の変」。ご安心ください。すでにこの世の地獄でした。
「永禄の変」なるもの、歴史として、ぼんやりと知ってはいたが、2020年5月の配信時点では、ふーんという感じだった。しかし、大河ドラマ好きの私、その年の9月には、しっかりと地獄を追体験することになる。向井理の義輝様、好きだったんだよね。義輝様と三淵藤英(谷原章介)、細川藤孝(眞島秀和)の並びが、ほんとに好みで。キャスティング、オレかと思ったわ。
まあ、そんなわけで、今回も、義輝様(中河内雅貴)にしっかりと心を寄せつつ鑑賞していたので、私自身、既に「ぬえ」になっていたのかもしれない。麒麟が来る千秋楽にはならないのかよ~[もうやだ~(悲しい顔)](それは歴史改変です)
ラスト、白い三日月宗近と山姥切国広が戦う場面は、本当に清冽な美しさに包まれていた。美しい…それしか、言葉がなかった。

私自身は「舞台刀剣乱舞」に手を染めたのは、2020年、自宅で無料配信を観てからなので、今年、劇場版をあらためて連続鑑賞し、ようやく、普通の観客並に、ストーリーを理解し始めたところ。とても、考察勢に追いつけるとは思えないが、これからも楽しく作品を観ていくため、劇場版は、追いかけていきたいと思っている。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。