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小倉城 [┣続百名城]

最終日は、遠出しようかとも思ったが、お昼くらいまで福岡にいたので、その後、新幹線で小倉に行き、小倉城へ。


小倉城-1.jpgあら、こんなところにも、ふくやさんが。
前日まで、「羽世保スウィングボーイズ」で博多華丸さんが、ふくやさんの明太子を持って登場するのを観ていたので、(というか、2年前には、ふくやさんをモデルにした「めんたいぴりり」を観まくっていたし[わーい(嬉しい顔)]


小倉城は、JR小倉駅から徒歩10分くらい。
平城なので、さくさく街中を歩いている間に到着。


小倉城ー2.jpg小倉城…なんでこんなに、でかい石があるん[exclamation&question]
石垣フェチとしては、いきなり、テンションが上がる光景。
江戸城レベルの巨石が、次々に現れて、はくはくしちゃいました[いい気分(温泉)]
巨石、ばんざい[ぴかぴか(新しい)]


小倉城ー3.jpg小倉城は、そもそもは、中国の毛利家によって築城されたのが始まり。
でも、本格的に城下町も含めて大規模に築城されたのは、関ヶ原後、細川忠興によって。ただ、九州各地の街道の起点であり、関門海峡の先に中国を睨む要所、ということもあり、細川家は熊本に転封、譜代の小笠原家が入封することになる。
小笠原家は、礼法の基礎を築いた家柄。そういうことからか、城には、茶筌塚、筆塚、花塚が。


小倉城ー4.jpg


茶道では、小笠原古流・千家表・裏流をはじめとする小倉市茶道協会有志による、茶筌塚。


筆塚については、昭和40年に文化の振興を祈念して建立されたみたい。筆塚の文字は、小笠原藩の名書家、下村薫村の筆跡だそうです。


小倉城ー5.jpg花塚は、北九州いけばな協会の前身団体によって建立されたそう。


競い合うように、隣り合って塚が立っていて面白い[わーい(嬉しい顔)]


小倉城ー6.jpgさて、天守閣。
小倉城は、唐造りの天守として有名だったらしく、津山城などが、小倉城の天守を真似て、天守を築いたらしい。
唐造りというのは、最上階(5階)と下の階(4階)の間にひさしがなく、最上階の方が張り出している造りのこと。黒く塗られている最上階が少し、張り出してますね。
また、石垣が高いこともあり、小倉城天守は、全国の天守閣の中でも、ベスト10入りする高さ(47.5メートル)を誇ってるそうです。
ちなみに、江戸城の天守閣は再建されていないので、1位は大阪城、2位は名古屋城なのですが、3位は意外にも島原城。分不相応な城造っちゃったから、お金がなくて、年貢を取り立てることになり、あんなこと(島原の乱)になったんですね…[爆弾]
小倉城は、細川忠興が関ヶ原の功績により、39万9千石の大大名になっているので、これだけの城を築いても問題なかった…ということでしょうね。その後転封した熊本も、さらにでかい天守がありましたし、ずっとでかいお城にいたんですね~。まあ、藩主が天守閣に行くことはほとんどないでしょうが。


小倉城ー7.jpgやばい、石垣が好きすぎる…


この無造作に置いているようで、趣のある配置は、ものすごいデザイナーさんとお見受けする…[ぴかぴか(新しい)]


小倉は、博多からだと新幹線で16分で着いてしまう場所で、13時頃には到着していたので、「飛行機は17時だし、帰りは在来線でも間に合うかな…」とか高を括っていたのですが…気がついたら…ダッシュして、ギリギリ新幹線に乗って、そのまま福岡空港に行き、土産も見ずに、チェックインしてましたね。
城に行くと、時間間隔が狂うわ…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


小倉城ー8.jpg小倉城の主な登場人物を紹介した関連図があったので、撮影してきました。
最初の頃に、毛利家によって小倉城が創建されたと記載しましたが、その毛利家と、その後城主となった細川家、小笠原家は、大阪夏の陣で敵味方になっていたのですね。そして、小笠原家初代藩主の小笠原忠真の父と兄は、夏の陣で、かつての城主の子、毛利勝永に討ち取られていたんですね…[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
(もちろん、毛利勝永は、豊臣方なので、大坂城落城の時、秀頼の介錯の後、自害したとのことです。)


小倉城から見ると、大阪夏の陣、なんだか、関係者入り乱れての、ぐちゃぐちゃな戦いだったのね…。
あらためて、「舞台刀剣乱舞无伝」に思いを馳せてしまった。


小倉城ー9.jpgこちら、天守閣からの眺め。
天守高いベスト10と言うわりに、見晴らしは、低いな…という感じです。


いやー、しかし、夏空、ですね。


マジ、暑かったです[晴れ][晴れ][晴れ][晴れ][晴れ]


小倉城の施設は、天守閣、庭園、松本清張記念館のセット券があり、時間あるし…と、セット券を買ったところ、天守閣でほぼ時間がなくなり、松本清張記念館は、ほぼ駆け足で回ることになってしまいました…[もうやだ~(悲しい顔)]
しかし、そちら側から、戻ってきたことで、素晴らしい史跡を発見できました[黒ハート]


小倉城ー10.jpg


第12師団…そうだ[exclamation×2]
小倉じゃん[exclamation×2][exclamation×2][exclamation×2]
「はいからさんが通る」で、印念中佐の陰謀により、少尉が転属することになったのは、小倉の陸軍第十二師団でしたね。そうか…ここか…ここに少尉が[exclamation×2]
(うるうる)


小倉城ー11.jpgここが第12師団の鉄門のあった場所とのことです。


少尉がいた場所というだけで、なんか、ステキな空間に思えます。
ちなみに、小倉城では、ここは二の丸があった場所だそうです。


そして、もうひとつ、小倉城といえば、あの人が…


小倉城ー12.jpg宮本武蔵は、ここ、小倉城で剣術指南のお仕事をしていたことがあり、有名な巌流島の決闘も、その頃のお話なんですよね。
宮本武蔵は二天一流という流派を完成させた剣豪で、この流派を確立するために、多くの試合(決闘)を行い、無敗を誇ったと言われている。


なのに、なんで、巌流島(舟島)の決闘の時は、木刀を使ったのかな、とか、木刀なのに、真剣の小次郎を殺せるのかな、とか、いろいろ考えてしまった。もしかしたら、この間、WOWOWで見た映画「武蔵」(2019)の影響かしら[exclamation&question]


小倉城ー13.jpg最後は、小倉城庭園。こちらも、ぐるっと回るしかできなかったが、コンパクトながら風流なお庭でした。
楽しかったけど…時間がもっとほしかった~[あせあせ(飛び散る汗)]


 


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