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祐飛さんの思い出(4) [┣祐飛さんの思い出]

(4)2001年

2001年は東京宝塚劇場のオープン年。
ウキウキと劇場に足を踏み入れた私は、プログラムを見て愕然とする。
きりやんと写真のサイズが違う…[もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]当時、シューマッハとして、四人一組で活動していた汐美真帆・大空祐飛・霧矢大夢・大和悠河の4人の中で、一人だけ写真が小さく、明らかに扱いが下がっていた[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
でも、でも、でも、祝舞の場面で、下手花道のセリから上がって来る祐飛さんを見た時、「このセリを一番に使った生徒として、永遠に記録が残る[exclamation]と気を取り直した。もっと違う意味で、記録を残すなんざ、思いもよらない2001年だった。

公演は「いま すみれ花咲く/愛のソナタ」。
祝典の和物ショーと、フィナーレ付のお芝居。その芝居で、私が感じたのは、自由な部分の演技が毎度同じだなぁ~ということ。あまり遊び心を発揮していないような…[たらーっ(汗)]たぶん、私の中では、祐飛さんのやる気が一番低かった印象のある公演だ。
「いま すみれ…」は、東京宝塚劇場のリニューアルオープンを記念したショーだったため、大劇場公演は、「愛のソナタ」を前ものの芝居にして、「ESP!!」という後もののショーを作った。
真琴つばさのサヨナラ公演となったこのショーは、シューマッハをフィーチャーした内容で、祐飛さんも大活躍。女装もしちゃいました[るんるん]
夢に見そうな二の腕だった…[爆弾][爆弾][爆弾]

7月に、梅田の新阪急ホテルで初DS開催。今にして思えば、新阪急ホテルというのが異例だった[どんっ(衝撃)]私にとっても初のDS参加でした[ぴかぴか(新しい)]
実は、どうしても見たくて、仕事関係のツテで“一生に一度”のお願いまでしちゃったのでした[ダッシュ(走り出すさま)]
あの時、祐飛さんは、池田小の事件に触れて、巻き込まれた子供たちの魂のために…と、「Amazing Grace」を歌った。その時はへぇ~!という感じだったが、タカラジェンヌって、実はあまり現実社会の悲惨な話を公の場ではしなかったりする。だから、あれもかなり異例のことなんだなーと今では思っている。

真琴のサヨナラ公演が、東宝⇒大劇場という変則公演だったため、紫吹淳のお披露目公演は、東京宝塚劇場のみ、という変則公演だった。
この頃、祐飛さんは、毎公演退団の噂が出る状況だったが、この公演だけは集合日にドキドキしなくて済んだ。なぜなら、この公演の後にバウホールで主演することが発表されていたから。
この「大海賊」は、退団時まで、“フレデリック様”のビジュアル最高!と呼ばれるほど、ファン人気の高い役だった。ロイヤルブルーの衣装に金髪のロン毛の似合うことといったら[exclamation×2]

10月20日、バウホール初主演(汐美真帆とW主演)『血と砂』開幕。
いろいろな意味で忘れらない公演。
この頃にできたヅカ友が、私のヅカ人生だけでなく、実人生に大きな影響を与え続けている。そんな出会いをくれた、祐飛さんとケロさんには、私は一生頭があがらないのだ[かわいい]

11月にDS東京公演。
当時は珍しかった第一ホテル東京でのDS。そういえば、前年12月に、同じ、宴会場“ラ・ローズ”で「サヨナラ1000days劇場」の中継イベント(司会:大空祐飛)も参加したっけ。
両方とも電話が繋がって、かなり後ろの方の席だったが、観ることができた。
念ずれば通ず―って別に電話が通じることじゃないと思いますが。
同じDSを7月と11月に行うというのも珍しいと思う。なので、曲目の入れ替えも多く、出演者の変更もあった。
そして、間に、9.11があった。
その犠牲者のために、アカペラの歌が捧げられた。 

2001年 東京宝塚劇場公演『いま すみれ花咲く/愛のソナタ』オットー役。大劇場公演『愛のソナタ/ESP!!』新阪急ホテルディナーショー『Selfish...』(初DS)東京宝塚劇場公演『大海賊/ジャズマニア』バウホール公演『血と砂』プルミタス役(バウホール公演初主演(汐美真帆とW主演))。第一ホテル東京ディナーショー『Selfish...』


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