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母の冒険 [┣身辺雑事]

母が認知症で要介護状態であることは、このブログにもそれとなく書いてきた。
このブログは、私にとって日記でもあるから、身辺に起きたひっそりとしておきたい出来事は、トップページから消える頃にアップするようにしている。

今回、残しておきたい記事は、この8月に起きた、母の4日間の冒険物語である。

事件は8月18日に遡る。
この日、私は、ヨガの後、一度帰宅して、身支度し、再度出掛ける予定だった。
が、帰宅すると、母がいないという。
既に警察にも連絡したとのことで、なお、近所を探すと父が言っているので、私は、家で、連絡を待つことにした。最悪、今日の外出は中止だな…と思いながら。
ほどなく、警察から連絡があり、母を保護しているとのこと、家に送っていただくことになり、母の無事を確認し、父が警察での手続きを終えるまで、家で母と過ごし、その上で、外出した。ギリギリ間に合って、知人に迷惑をかけることも避けられた。

翌日は月曜日。23時頃帰宅すると、既に帰宅していた弟から、またまた母がいなくなったと聞かされる。夕方、父がちょっと目を離した隙に出掛けたまま、ずっと帰ってないという。
この時点で、既に6時間は経過している。もちろん、警察にも連絡済みだったが、父は、何度も周囲を探しているという。私も、念のため、周囲を探してみたが、もちろん何の痕跡も見つけられなかった。

深夜まで待っていたが、何の連絡もなく、火曜日になった。
私は水曜日に私用のため、会社を休む許可を貰っていたが、とりあえず、この日もお休みをいただくことにした。母のことを詳細に伝えてある上司に連絡し、お休みをいただくことにした。
8月20日は、朝から日差しが照りつけ、こんな中、外にいたらひとたまりもないように感じられた。
それでも、父は、自分にできる範囲を探し続け、私は、連絡を待ちながら家にいた。
何か食べなきゃ…と思っても、食欲すらない。それでも、素麺を茹でた。二人前だったのに、父と二人で一口ずつ食べるのが精一杯、半分以上が残ってしまった。
父は、一日、何度も、行き先を思いついては、探しに行った。一日の歩数は4万歩にもなった。
警察からは、何度も電話があった。どこか思い出の場所とか、行きたがっている場所はないか、と聞かれたが、そんな場所があったとしても、自分で行ける力はない。
母がお世話になっているデイサービスの施設からは、市内放送を要請してみては?と言われたが、市役所からは、放送は原則、行方不明になった当日しか行っていないと、言われた。翌日ともなれば、市外に出ている可能性が高いからだとか。
一応、市内の緊急メールは配信された。市役所ネットワークにも、写真付で情報が配信された。
メールを読んだ知り合いから、近所の方々に連絡が入り、近所の方も心配して家に来てくれた。それで、出掛けた時、近所の家を経由していたこともわかった。情報は、警察にも伝えたが、その夜も、何の手がかりもないまま、過ぎていった。
私は、軽く食べられるものを買いに出かけ、仕事に行った弟には、自分の食事は自分で済ませてくるようにメールを送った。
何の手がかりもないままに二日が過ぎ、さすがに、最悪の事態を覚悟するようになった。

さすがに二日目の夜は、疲れていたのか、睡眠を取ることもでき、水曜になった。
父は、繰り言を言い始め、近所の方も、あの時、声をかけて、連れてきてあげれば…と、涙ぐむ。デイサービスの施設から再び電話があり、市から出ていない可能性が高く、生命の危険があれば、市内放送はしてもらえる、ただし、家族の要望があり、警察から連絡すれば…ということを教えてもらい、そこまでの答えを引き出してくれた、デイサービス施設に感謝し、警察に連絡した。
ほどなく、市役所から連絡があり、異例の市内放送がかかった。
昼に買い物に出た時、近所の草村をかき分けている異様な集団を見た。捜査員かもしれない…そんな気がした。

3時頃、警察から電話があった。
駅の防犯カメラが、改札を抜ける母の姿を捉えたという。
まさか!
母は、電車に乗っていたのだ。
さっそく、広域手配に切り替わった。と同時に、このまま見つからないのでは…という不安は、拡大した。最悪の事態は、予想せねばならなかったが、いつまでも見つからないという可能性も生まれたのだ。

二日間の休暇は終わりに近づいている。このまま見つからない可能性も考え、私は、上司にメールを打った。このまま見つからなければ、明日は出勤します、と。
メールを送信した直後、電話が鳴った。

午後5時を過ぎていた。
母は鎌倉で発見されていた。いなくなった月曜の深夜には。
県警の壁があり、情報が伝わらなかったのだ。
すぐに、母を二日間、介護してくださった現地の施設に連絡、迎えに行く旨を伝えた。上司にも、すぐにメールを入れ、近所にも、デイサービスにも連絡、30分後には電車に乗っていた。
2時間で施設に到着、三日ぶりに母に対面した。
母は悠然と、わがもの顔で過ごしていた。
涙が出るほど、嬉しかった。

母の冒険でわかったことがいくつかある。
ひとつは、既に意思の疎通はできないが、(こちらの質問に答えられない)母は、電車に2時間揺られて大冒険ができるほど、多くの何かをまだ持っているということ。
そして、私たち家族は母を通じて成り立っているのだということ。
介護がどんなに大変でも、母が家にいることで、父は生きる意欲が持てているのだということ。

もう二度と、こんな思いはしたくないので、防止策は万全にしたが、この母の冒険は、私にちょっとした勇気と、そして色々な発見をもたらしてくれた。

<教訓>
警察の人の助言には、かならず一理ある。絶対○○とか思わずに、相手の言葉に耳を傾けることも必要。


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