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祐飛さんの思い出(2) [┣祐飛さんの思い出]

(2)1999年
まあ、何度も書いていることですが…
こうして年が明け、1999年のお正月のこと。
たしか4日の朝刊だったと思う。
紫吹淳の休演と代役の記事が載っていた。一応、紫吹の演じたプガチョフ役を新人公演で大空祐飛が演じたことは覚えていたらしく、…ということは、プガチョフ役の代役は大空祐飛か…と咄嗟に思った。
その日は公演を見る日だったので、昼、社内メールで一緒に行く友達に、「大空祐飛は好きだから嬉しい」と書いた。
書いて驚いた。
私、大空祐飛が好きだったのか!と。
その日、遅刻して劇場に到着した私は、公演が終わった時には、「好きだったのか!」から「好きだ!」となっており、以来、大空祐飛を求めて、過去への旅が始まったのだった。
誰か好きなジェンヌができた時、とりあえずは、過去への旅が始まる。
自分の気付いていなかった時代の、歌劇・グラフを探す。
ビデオを観る。
ネットを調べる。
その頃、公式ページにあった掲示板をこまめに見たり、(“ゆうひが丘”という名前だったような?)ファンサイト(2ヶ所位あった)をチェックしたり、そんなことが日課になった。
久世星佳ファンで、彼女の早すぎる退団を認められなかった私は、「NON-STOP」のビデオを買いながら、見てはいなかったのだが、まずその封印切りから始まり、友人に貸したままの「銀ちゃんの恋」を取り返し、そして「ブエノスアイレスの風」「ワン・モア・タイム!」を購入した。
そして、原宿にあったアンジュという店に行き、過去のスチール、舞台写真を大人買い、ない分は申し込んだり…と、初心者ファンの王道をひと通りやったのだった。
その時点で、宝塚ファン10年ほどになっていて、ご贔屓も三人目となっていたのに、そのすべてを上回る勢いで、私は大空祐飛に傾倒していった。
その勢いのまま、私は数々のハードルを飛び越えて行った。

まず、1公演の観劇回数の増加。
これまで、すごく好きな作品で、東京で3公演観劇がMAXだったのだが、週一基本、多ければ週二観劇となった。
個人的事情として、1000DAYS劇場は、東宝より観劇に便利だった。また、旧東宝時代、平日夜公演は17:30開演だったのが、1000DAYSになって18:00→18:30開演となったことも、平日観劇を容易にしていた。
そして、好きな人をロックオンで観劇する行為。
これまでは、トップさんとか2番手さんとか、中心付近の人のファンだったことしかないので、センターを見ない観劇というのはあり得なかった。それが、舞台の端にオペラグラスの焦点を合わせるようになってしまった。それは、演劇を見る時の自分の基本姿勢をも変える大きな出来事だった。
そして、一人旅。
祐飛さんが出る、それだけで、大阪まで一人旅を敢行してしまったのだ。
一人旅は初めてではなかったが、出演時間と旅の価格が割に合わない旅は初めてだった。(真顔)
二幕でこそ通し役があったものの、一幕ではセリフもない、通し役でもない…なのに、私は、祐飛さんが出る、というそのことだけで、嬉しくて、ときめいていた。
色々なハードルを飛び越えた年―1999年は、私にとって、まさに世界が崩壊した年といってもいいかもしれない。
ただ、その時点では、ご本人に近づくことで自分の持つイメージが壊れるのが恐いというのが、私のタカラジェンヌに対する思いだったので、入り出とか、お茶会とかへの興味は皆無だった。そしてファン友もいない私は、バウホール公演は大劇場と違って、そう簡単にチケットが取れない公演という先入観を払拭してもいなかった。
この年の上演作品…『黒い瞳』(1000days劇場)、『から騒ぎ』(バウホール=未見)、『螺旋のオルフェ/ノバ・ボサ・ノバ』(大劇場=未見)、『十二夜』(バウホール=未見)、『螺旋のオルフェ/ノバ・ボサ・ノバ』(1000days劇場)、『プロヴァンスの碧い空』(シアター・ドラマシティ)


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