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シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」 [┣宝塚作品関連本等の紹介]

近所の図書館で借りて読んでみた。
シェイクスピアを借りて読んだのは「十二夜」以来。その時と同じ棚にちゃんと置いてあったのが笑えた。図書館って不思議なくらい本の位置関係が変わらないものだな。(「十二夜」を借りたのはバウ公演の時だから、たぶん7年近く経っている?)
借りたのは白水Uブックスのシェイクスピア全集。東京芸術劇場館長の小田島雄志氏が訳したものだ。

それにしても、本当に男しか出てこない芝居である。
女性の役は、ブルータスの妻・ポーシャがちょこっと出てくるだけで、シーザーの妻・キャルパーニアなどは、ほとんど端役レベルだ。そして、それ以外の女性は出てこない。このまま舞台化したら、娘役ファンとしてはちょっと許せない気分になると思う。
さて、この「ジュリアス・シーザー」は、様々な史料から1599年初演ということが確認できるそうだ。日本でいえば関が原の1年前。「野風の笛」の時代…。
シェイクスピアは「ヘンリー五世」を書き、この「ジュリアス・シーザー」を書いて、さらに「ハムレット」を書いた。そして、「ヘンリー五世」の凱旋はジュリアス・シーザーのそれを模して描写され、「ハムレット」には、ポローニアスが大学時代に「ジュリアス・シーザー」を演じたことがある、というセリフがあるそうだ。
これは解説にある通り、実際にポローニアス役者がその前にシーザー役者だったことを言っているように思う。つまり「楽屋落ち」というやつだ。
もしそうだとすると、ジュリアス・シーザーを演じる役者は、ポローニアスクラスの俳優ということになる。スターシステムをとっているわけではないので、断言はできないが、それって主役じゃない役者ってことじゃないのかな?
出番もそれほど多くはない。
そして、どんな人物か、読んでいてよくわからなかった。心の内を見せる部分がないというか…。
シェイクスピア時代の芝居は、独白でなんでも語ってくれる。
宝塚でいえば柴田先生の作品に出てくる、録音で流れてくる内心というヤツがセリフとして登場する。これはどうも、正面を向いてしゃべったらセリフで、横を向いてしゃべったら傍白というふうに区別されていたらしい。
そういう傍白のない役なのだ、シーザーは。
一方、ブルータスやキャシアスは、傍白あり、独り言あり、気が大きくなったり、不安に苛まれたり、まさにシェイクスピアの主役らしい動きをする。
そしてマーク・アントニーは、「ベニスの商人」におけるポーシャのような機転のきくキャラクター。
シェイクスピアの時代、誰が主役だったかはわからないが、現代人の感覚で読み解けば、この芝居は「ブルータス」という悩み多き人物が主人公になる。
シーザーは、「マクベス」におけるダンカン国王の役割であり、キャシアスがマクベス夫人ということになろうか。

アントニーの演説が見せ場、ということを事前に聞いていたので、その後の戦闘と死は蛇足のように見える。
キャシアスは、「アントニーを殺すべきだ」と主張するが、ブルータスはこれを虐殺だとして、否定する。そして追悼演説を希望するアントニーに対して、これを許し、しかも自分はアントニーに自由に演説をさせて立ち去ってしまうのだ。
こう書くと「ツメが甘い」ブルータスと思われるかもしれないが、彼はクーデターを起こしたつもりがまったくないのだ。(もちろんキャシアスは、これがクーデターであると思っている。)
ブルータスは、シーザーの専制がローマのためにならないから殺害しただけで、その後、ローマを牛耳るつもりがまったくないのだ。どうやら「バカ正直」なキャラクターであるらしい。
しかも、戦闘の指揮能力も低く、あっという間に敗北を喫する。
その死後、アントニーはブルータスだけは高潔な魂の持ち主だったと褒めるのだが…ビジョンがないのに指導者を暗殺するっていうのは、迷惑なだけのような気がする。

キャシアスは、自分にはブルータスほどの人望がないのを知っていたので、彼を担ぎ出し、ブルータスさえ目を覆う専制だったのだ、という形でシーザー暗殺を正当化し、あわよくば次の実権を狙っていたのではないか?
だから、シーザーとともにアントニーも殺してしまいたかったのだと思う。
が、ブルータスは、傀儡で終わるような人間ではなく、愚直なまでに自己を押し通し、その結果、キャシアスを含むすべての人々を死に追いやった。ただ、その心は高潔だった、という人物。
アントニーは、シーザーの腰巾着。が、それだけで終わらない器量も持っている。シーザーの死後、命の危険を回避した上で、さらに立場を逆転させる大演説をぶったのは、正義の士だからではなく、なかなかの策士であったから。
オクテーヴィアスは年が若いにもかかわらず、シーザーの養子(妹の孫なので血縁関係はある)にして、後継者という立場を十分に理解している。だから、狡猾なアントニーに対しても、一歩も引かずに接している。

なんだか、ステキな役が一個もないような…。
もちろん、演じがいのある役ばかりだと思うのだが、宝塚の主役としてうっとり眺められる役がないなーと思う。
どんなふうに改変されるのか、じっくりと見極めたいと思う。

シェイクスピアは、ブルータスの演説を散文で、アントニーの演説を韻文で書き分けたという。アントニーの演説はたぶん歌になると思うのだが、どんな名調子をきりやんに歌わせてくれるのか、それだけは、楽しみなのである。
歌詞は別にして。

【去年の今日】
決算で身も心も疲弊したのか、たった一行だ。
でも「明日は休めそうだ」と書いてある。え?今年より、マシ?


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コメント 4

でるふぃ

夜野さま、おはようございます。
私も同じ本、図書館で借りて読みました。書棚の位置については、
しょっちゅう変わる、近所の有名古本屋・宝塚コーナーとはまったく逆ですね。
夜野さまの文は、いろいろ勉強になって、合わせて読むとおもしろいです。この本の解説も読み応えありますね。
訳者の小田島さんが東京芸術劇場名誉館長でいらっしゃる!素敵。
教えてくださって、ありがとうございます。
ああ、この劇場の名前を聞いただけで、心が濡れて来ます・・何という表現、でも、そんな感じ。それとあの桜の木が目に浮かびます。
それで、このかたは、確かグラフか歌劇の新春対談で、
「今年はうちの劇場で月組特別公演が予定されているので、とても楽しみ・・」とか、おっしゃってくださった方でしょうかね。
立ち読みしただけですが、何故かそこの一言を覚えています。
そのかたが、小田島雄志さんだったら、うれしいな、と思ってます。

さて、ステキな役が一個もないような、と、おっしゃられてますが、
私にとって、一番まっとうなのは、オクテーヴィアスでしょうか。
すっごく、乱暴な発想なのですが、この悲劇を日本の戦国時代に置き換えてみました。
シーザーは織田信長、アントニーは豊臣秀吉(なんか、最初調子良さそうだけど、あとの変わり身の早さが)
オクテーヴィアスは徳川家康。ブルータスとキャシアス合わせて、明智光秀なんて、どうでしょう。
しかし、なぜあのような高潔なブルータスが後のことも考えずに、シーザーを暗殺するまでに至ったのか。
そこら辺が、わかりやすくお芝居で見せてくれるといいですけどね。

それと、アントニーの演説なんですけど、原文がちょこっとあります。
ブルータスが「Romans, countrymen, and lovers,」その後、静かにしていただきたい・・と始まるんですけど、
アントニーは「Friends, Romans, countrymen, lend me your
ears!・・」と、
ブルータスの前の演説をもじりながらも、こちらは耳を貸してくれと、下手にでて、柔らかく始めるんですよね。
Friendsから始めるのも優しい音だし、だんだんにリズムよく強くしていくのも技巧(実際にしゃべってみると、全然違いますよ)
上でお書きになっていた、散文と韻文の違いです。
これが歌になると・・・そのまま英語にして、
「フレンズ、ローマンズ、カントリーメン~♪」これをロック仕立てに・・・う~ん、難しいでしょうかね!?
やっぱり「友よ~♪」かな?(すっかり、歌にすることに決めている私、でも、これだと他のメロディが浮かんでくる・笑)
あ、世代ギャップで笑えるのは↑私だけだったら、寂しいけど・・(苦笑)
とにかく、楽しみです!
by でるふぃ (2006-04-10 08:47) 

夜野愉美

でるふぃさま
最初にお詫びから。小田島先生は東京芸術劇場の「館長」でいらっしゃいました。勝手に「名誉」をつけて書いてしまった上に、修正をかけました。ごめんなさい(汗だく)
新春対談…ちょっと私も手元に歌劇もグラフもないのでわからないですが、もしそうだったらステキな一致ですよね。東京芸術劇場と「ジュリアス・シーザー」がちゃんと結びついてるんですから。
そして、でるふぃさま、原文のご紹介ありがとうございます。
あぁ、たしかに、ブルータスは、演説調の強い調子、そしてアントニーは、美しいリズムに気をとられているうちに心まで奪われそうな名調子ですね。
どんな曲がつくか、私も楽しみです。
でも、「友よ~♪」ってなんでしたっけ?思い出せない…。
by 夜野愉美 (2006-04-10 23:08) 

でるふぃ

夜野さま、返信ありがとうございます。
きっと、夜野さまの小田島先生への尊敬の気持ちから、「名誉」が自然にくっついて記憶されちゃったのだと、
勝手に思ってます。(^^)
でも、すぐ修正なさってくださって、ありがとうございます。きっと、私、得意がって、すぐにそのこと、周囲にしゃべりそうだったから。
だって、うれしいですものね、ちょっとした接点でも、大空ファンなら!

「友よ~♪」について、思い出せない、と気を遣ってくださってありがとうございます!やさしいかた。
多分、ご存じないんだと思います、古すぎて。
私も『友よ、夜明け前の闇の中で、友よ、明日への・・・』そのあとの歌詞が出てきません。
この曲は多分団塊の世代が、その一部が学生闘争に身を投げていたそんな頃に、ひとつの運動として音楽があった時代、
メッセージフォークの代表的な曲だと記憶してます。いろんな人が歌ってました。
私はそのちょっと後の、そういう人たちをまぶしく思い、追いかけていた世代でした。

この曲はメッセージ性、煽り感が強いので、上のアントニーの演説で思い出してしまいました。
ギター一本を囲みながら、たくさんの若者達が声を合わせて歌っていた、そんな時代もあったのだ、と思い出しました。
by でるふぃ (2006-04-11 07:46) 

夜野愉美

でるふぃさま
ありがとうございます。フォローのメッセージ、読んで安心しました。
そして「友よ~♪」の解説も…。
そういう歌なんですね。残念ながら私は、その曲は知らないのですが、とても興味深く読ませていただきました。
あと某所で、ブルータスの演説の英語教材(?)記事も拝見しました。これはぜひ探してみようと思いました。
短大時代に英文科だったので、ほんのさわりだけ英詩も勉強しました。記事を読んで英語の響きの美しさを思い出しました。今、フィッツジェラルドの評伝を読んでいるのですが、そこにその頃読んだ詩のタイトルが出てきて、ふっと遠い過去を回想したこともあり…。青春と呼ぶにはあまりにも苦い過去ですが。(勉強苦手だったので)
by 夜野愉美 (2006-04-11 21:58) 

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