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宝塚歌劇雪組東京公演「fff」観劇 [┣宝塚観劇]

かんぽ生命ドリームシアター
ミュージカル・シンフォニア
「fff(フォルティッシッシモ)ー歓喜に歌え!ー」


作・演出:上田久美子
作曲・編曲・録音音楽指揮:甲斐正人
振付:前田清実、AYAKO
擬闘:栗原直樹
装置:大橋泰弘
衣装:有村淳
照明:勝柴次朗
音響:大坪正仁
小道具:市川ふみ
映像:上田大樹
歌唱指導:ちあきしん
演出助手:生駒怜子
舞台進行:宮脇学


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。
日本で、おそらく一番有名な、そして愛されているクラシックの作曲家ではないかと思う。
かく言う私も、一番最初に買ってもらったクラシックのレコード(←世代感)が、「エリーゼのために」だったこともあり、幼い頃から親しんでいた。
その後、ショパン、リスト、チャイコフスキー…と、好きな作曲家は変遷していくが、結局、やっぱり、ベートーヴェンよね[exclamation×2]と、最近は思う。特に、彼の作曲したピアノソナタは、発表会で演奏したこともあり、魂の中に刻み込まれていたりする。(あまりに昔過ぎて、作品番号とか覚えていないですが、同じ発表会で誰ともかぶっていなかったので、本当にマイナーな曲なんだと思います。でも、全音のソナタアルバムの1曲ではあります。)
本作は、ベートーヴェン(望海風斗)、謎の女(真彩希帆)、ナポレオン(彩風咲奈)、ゲーテ(彩凪翔)をメインに、歴史的事実を解体してパズルのピースのように組み上げて、魂の物語として再構築した作品になっている。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンという偉人の人生をなぞるのではなく、ベートーヴェンの本質を探る旅に出るような、そんな作品で、私は面白く観劇した。
偉人の人生をパズルのピースのように扱って、その本質を解き明かそうとする試みが、私には心地よいと感じられたが、これは賛否あるかもしれない。


物語は、天国への門をくぐろうとする死者たちの葬列から始まる。
その中に、ヘンデル(真那春人)、テレマン(縣千)、モーツァルト(彩みちる)がいた。しかし、三人は、天使(希良々うみ・羽織夕夏・有栖妃華)に阻まれた。智天使ケルブ(一樹千尋)によれば、教会のものであった「音楽」を貴族の楽しみのために提供したから天国に行けないらしい。そして、彼らの処遇は、その後継者によって、まとめて処断されることになるという。
後継者[exclamation&question]と訝しむ三人の耳に、やたら勇壮な音楽が鳴り響いてくる。せり上がってきたその男こそ、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン[exclamation×2]さらに、上手のスッポンからナポレオン、下手のスッポンからゲーテが登場する。
なんとも、見事な導入部だと思った。アガる[exclamation×2]
オーケストラを入れられず、録音演奏となっていることを逆手に取り、オケボックスを、出演者が扮するオーケストラの演奏場所として使用する。導入部からのさまざまな仕掛けに、ワクワクが止まらなかった。


この導入部で登場したヘンデル、テレマン、モーツァルトのトリオは、狂言回しのようにこの物語を動かし、得意満面なベートーヴェンの耳に、雲の欠片をねじ込んで、彼の聴力を失わせることに成功する。ほとんど耳が聞こえない状態で、数々の名曲を作曲したことは、ベートーヴェンの奇跡の一つだが、難聴の原因ははっきりしないらしい。であれば、このような演出もありだな、と思った。
また、三人がベートーヴェンの人生のあれこれをそれぞれの目線で評論するのも、当時の人の意見っぽくて、なるほど~[ひらめき]と思う。なんといっても、モーツァルトのすべてが可愛い[かわいい]ので、このトリオが出てくるだけで、楽しい気分になってしまう。しかも、ただ出てくるのではなく、彫刻だったり、肖像画の中から登場するというのも、洒落が効いていて、好きだった。


ベートーヴェンは、平民の音楽家に過ぎないが、伯爵令嬢ジュリエッタ(夢白あや)と交際している。結婚も考えている。オーストリア皇帝フランツ1世(透真かずき)やルドルフ大公(綾凰華)に呼ばれても、へりくだることはない。宰相メッテルニヒ(煌羽レオ)が危険視するのも当然。皇帝が感動したという新曲を所望しても、「この曲は、捧げる相手が決まっている」と断ったりする。しかも、その相手は、ヨーロッパ各国の王室が、脅威に感じているフランスのナポレオン・ボナパルトだというのだから、まったくもって、究極のKY男である。


冒頭で勇壮な「英雄」(交響曲第3番)を聴かせたかと思ったら、今度は、美しく繊細なピアノソナタが披露される。ベートーヴェンが音楽を担当したゲーテの大ヒット小説「若きウェルテルの悩み」の舞台化作品が上演されている。「fff」では、交響曲作品のほかは、すべてピアノソナタ「悲愴」「月光」が使用されている。有名な楽曲が繰り返し使用されることで、クラシック音楽に馴染みのない層にも、親しみを感じられたのではないかと思う。
この劇場に、ベートーヴェンは、親友の医師、ゲルハルト(朝美絢)と、その妻ロールヘン(朝月希和)を呼び、ジュリエッタを紹介しようとしている。が、ジュリエッタは現れない。ベートーヴェンのファーストネームは、ルートヴィヒだが、これはフランス風に言えば、「ルイ」。作中、ベートーヴェンは、親しい者たちから、「ルイ」と呼ばれている。
ジュリエッタに求婚した時、ルイは初めて、返事を聞き取れない、という事象を経験した。不思議に思っていると、ジュリエッタが、大貴族ガレンベルク伯爵(真地佑果)と婚約した、という場面に遭遇してしまう。
ショックを受けるルイの前に、謎の女が現れる。
謎の女は、舞台上のウェルテル(諏訪さき)に自殺用のピストルを渡したり、突然、ルイの心に呼びかけたり、明らかに生身の人間ではない。そして、ルイ以上にえらそう…[爆弾][わーい(嬉しい顔)]


ここからベートーヴェンの過去が、フラッシュバックのように挿入されていく。
ルイもモーツァルトのように、幼いころは、「神童」として、宮廷で演奏をして、貴族たちの寵を受けるべく、父親が画策していた。しかし、物おじしない性格が災いして、貴族には気に入られず、酒乱の父親からは、ひどく殴られ、家から出されてしまう。寒さの中、一人震えているルイ(野々花ひまり)のところへ、一人の少女が手を差し伸べる。家庭教師のゲルハルトと一緒に歩いていたロールヘン(星南のぞみ)だった。二人に連れられて、ロールヘンの家に着いたルイは、ロールヘンの母、ブロイニング未亡人(愛すみれ)の庇護を受け、子供たちの音楽の先生として、住み込みで働く場を与えられる。
ルイが青年になった頃、フランスで革命が起きる。新しい世界の動きに感動するルイ(彩海せら)は、ゲルハルトのすすめもあって、ウィーンに出ることになる。
ルイ役は、望海も含めて三人の出演者が、それぞれの年代を演じているが、このことで、親に虐待され、ロールヘン一家によって自らの小さな炎を見出した少年期、新しい世界への希望とロールヘンへの失恋を経験した青年期、を、アイコンのように、いつでも舞台の上に出現させることができるようになった。ロールヘンも二人が演じているので、現在の二人の後ろに、過去の二人を重ねる演出もできる。
ベートーヴェンの人生を彩った人々を一気に登場させるシーンには、彼らも登場する。そこにも違和感はなかった。


さて、謎の女から、「ナポレオンのファン」と揶揄されたルイだったが、そのナポレオンが、皇帝になったことを知り、激怒する。この辺、推しが自分の思ってもみない行動(変な作品に出たり、変な相手と結婚したり)に出た時のオタクの行動に似ていて、けっこう身につまされる。
さらに、オタクの汚部屋で創作するルイは、ナポレオン戦争で、砲弾が飛び交っていようが、作曲をやめない。ゲルハルトとロールヘンには子供が生まれるのに、自分は、結婚できない、耳は聞こえない…と、つぶやきながら、謎の女に、ゲーテに会いに行くから通訳をしろと命じる。
そう、ルイは、ゲーテのファンでもあった。ファンレターの代わりに、ゲーテの作品を読んで触発されて作曲した楽譜を送り付けていた。(めちゃくちゃ迷惑なファン…[爆弾]
しかし、ゲーテとの邂逅は、ゲーテが王侯貴族にへりくだった態度を取るのを見て、またまたオタクの絶望を味わうルイ。態度の悪いルイは、戦勝記念のコンサートから、名前を外される。無理やり演奏しようとして、オーケストラの出す音が聞こえないことが分かってしまい、ルイは、すべてを失って故郷に帰ることにした。
故郷に帰ると、ロールヘンの葬儀が行われていた。出産で赤ん坊は助かったが、ロールヘンは死んだのだ。ルイの心の中にあった、小さな炎(笙乃茅桜)がとうとう消える。
気がつくと、ルイは、ナポレオンの遠征するロシアにいた。そこで、ルイとナポレオンは、音楽と軍隊について、楽しく意見を交換する。が、ナポレオンの兵隊たちが倒れていき、ルイは、一人、謎の女の訪れを待つ。
ナポレオンの死を看取った女は、自らの正体(不幸)を明かし、形見のライフルでルイを狙う。
死は、救いなの、と。
ケルビムも、ルイに、「時が来た」と告げる。ルイは、少しの猶予を乞い、ピアノに向かうー


なんでしょうね、これは。
伝記ものではない。
ベートーヴェンという稀代の天才の物語でありながら、一人の愛すべき人間くさい男の、心の軌跡の物語になっていて、そこに、彼の作曲した音楽が、厳選して封じ込められていて、最後の「歓喜の歌」で爆発する。
それは、創作者としての上田久美子先生の歓喜の歌が弾けているような、そんな場面だった。
その弾けるエネルギー、その時代、市民の時代とともに生きたベートーヴェンと、名もなき市民たち、ナポレオンの快進撃に興奮し、ゲーテの「ウェルテル」を読んで青いジャケットと黄色いパンツを履いて街を歩き、ベートーヴェンと共に歓喜を歌う市民たちの姿が、生き生きと舞台に溢れていて、なんだか分からないけど、すごい作品だと思った。
トップスター望海風斗サヨナラ公演であり、まさに代表作。それだけでなく、登場人物の一人一人が見事に作品のピースとしてハマっていて、久美子先生もまた、天才かもしれない…と思ったりした。


では、出演者感想。


望海風斗(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)…望海風斗の男役の特徴ってなんだろう[exclamation&question]
歌が上手い。でも、それだけじゃない。魂の叫びが聞こえるような歌を、一定以上のレベルで全公演繰り出してくる。トップになる前は、エキセントリックな役が多かった。でも、それだけじゃない。とんでもサイコな癖に、歌が上手すぎて説得力を持ってしまう。
トップスターとて最後の作品は、エキセントリックで魂の叫びで生きてるような人物だった。
男性としてはかっこよくない。モテない。結婚もできない。
ファンの方たちが、最後の男役がルイだったことをどう思っているかわからないが、私は、この役が望海風斗の、まさに集大成なんだな、男役はここまで極められるんだな、と思って、勝手に熱くなった。
最高のパフォーマンスでした[黒ハート]


真彩希帆(謎の女)…最後の役が、娘役じゃないどころか、人間ですらない、「概念」ってどうなんだよ[exclamation&question]という意見もあるとは思うが、こんなにも深い部分で主人公と結びついた役であれば、かえって「相手役」より、幸せなのではないか…なんて、私は勝手に思ってしまっている。
銀橋で、ライフルを手に静かに歌う、[るんるん]人類の不幸[るんるん]は、鳥肌ものの歌唱だった。
そして、「歓喜の歌」で、真っ白な衣装で飛び跳ねる真彩希帆の尊さ[ぴかぴか(新しい)]神々しくて、勝手に拝んでいました[あせあせ(飛び散る汗)]


彩風咲奈(ナポレオン・ボナパルト)…ルイの心の友、ナポレオン。ナポレオン本人というよりは、こちらも、ナポレオン(概念)というべきか。「天才だからなー」が似合う。思えば、この人は、天才が似合うのだ。
数学でいえば、数式をこねくり回すのではなく、解だけを解答用紙に書くタイプ。
人々のために革命を推し進めるのではなく、思いついたから、試してみたくなった、というのが、すごく腑に落ちる。本物のナポレオンがどんな人かは、全然知らないが、彩風が演じるなら、このナポレオンしかないだろうな…と思う、そんなナポレオン像だった。


彩凪翔(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)…ベートーヴェンとナポレオンという、ぶっ飛んだ天才を向こうに回して、常識人として物語を動かす天才作家。なるほど、彼の存在がなければ、物語はもっととっ散らかったものになっていただろう。
彩凪の落ち着いた美貌が、紳士・ゲーテとして、エキセントリックなベートーヴェンや、ぶっ飛んだ天才、ナポレオンと我々凡人の間を繋いでくれる。そして、トップ望海、2番手彩風と対等に渡り合える彩凪の学年とスター性が、それを可能にしている。また、退団オーラも背負っているので、まぶしい…[ぴかぴか(新しい)]
久美子先生の配役、マジで神ですね~[揺れるハート]落ち着きとキラキラが両立したステキなゲーテでした。


以下の配役感想は、ショーと一緒に別記事で記載します。


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