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ミュージカル「レベッカ」観劇 [┣ミュージカル・音楽劇]

ミュージカル
「レベッカ」

脚本・作詞:ミヒャエル・クンツェ
音楽:シルヴェスター・リーヴァイ
原作:ダフネ・デュ・モーリア
演出:山田和也

翻訳・訳詞:竜真知子
音楽監督:甲斐正人
歌唱指導:山口正義、ちあきしん
美術:伊藤保恵
照明:成瀬一裕
衣裳:小峰リリー
ヘアメイク:川端恵理子(スタジオAD)
音響:本間俊哉
ステージング:田井中智子
オーケストラ:(株)ダット・ミュージック/東宝ミュージック(株)
指揮:西野淳
舞台監督:廣田進
演出助手:末永陽一
翻訳:長谷川真実
翻訳協力:迫光
プロダクション・コーディネーター:小熊節子

♪レベッカ、もう一度~♪
というわけで、もう一度「レベッカ」を観てきた。

とりあえず、涼風ダンヴァース夫人を観て、よかったら、さらにもう一度シルビアダンヴァース夫人を観ようと思っていたのだが、結論から言うと、もうこの作品は観なくてもいいかな。
本邦初演を観た時、山口祐一郎が面白すぎて、今回もまた観たいと思った。
知り合いの方にそんなことをチラッと話したところ、「山口祐一郎は、マツケン(松平健)の域にある」と言われ、まあ時代劇っぽいケレン味も山口の個性かもしれないなーと思っていた。
しかし!
ケレンもケレン、あれは既に市川猿之助でした!
スーパー歌舞伎だよ、宙乗りしそうな雰囲気!!!
「ダンス・オブ・ヴァンパイア」も観たんだから、もっと早く気づけばよかった…。

主演が変わるまで、「レベッカ」はもういいです…

「レベッカ」という作品は、大金持ちの男性に求婚された身寄りのない少女が、愛だけを頼りに旧家に乗り込み、そこに立ち塞がる前妻レベッカの幻影と戦う物語。
レベッカは亡くなっているので、実際に主人公にのしかかる重圧の正体は、レベッカ輿入れに付いてこの家に入ってきた、ダンヴァース夫人。それでも愛する夫がいれば怖いものはないはずなのに、夫は妻にも言えないレベッカに関する秘密を抱えて苦しんでいるため、屋敷の中で主人公は次第に孤立していく。
が、夫を苦しめる秘密を知った時、主人公は愛を守るために戦う決意をする。
やがて、事件は意外な結末を迎え…
という感じに展開していく。
主人公の名前は、ここでは明示されない。原作小説が一人称で書かれていることから、便宜上「わたし」と呼ばれている。これはヒッチコックの映画でも同様の作りだそうだ。
その「わたし」(大塚ちひろ)は、アメリカの富豪、ヴァン・ホッパー夫人(寿ひずる)の話し相手として雇用され、世界中のお金持ちが集まるモンテカルロのホテルで、マキシミリアン(マキシム)・ド・ウィンター(山口祐一郎)に出会う。
それまでの「わたし」は、家族をすべて亡くしてはいたが、画家であった父を尊敬し、貧しいけれど正しい生活をしてきた女性だった。が、あくの強いヴァン・ホッパー夫人に雇われてからは、びくびくおどおどすることが普通になってしまい、それは結婚後も変わらない。上流社会の得体のしれない部分に、意味もなく委縮している。
で、モンテカルロにいた時は、マキシムには秘密はない。だから、マキシムは紳士でいられる。そんなマキシムの前なら「わたし」も委縮せずに本来の魅力を出すことができる。
こうして恋に落ち、結婚した二人だったが、マキシムの屋敷のある「マンダレイ」では勝手が違う。
屋敷の中には、1年前まで女主人として君臨していたレベッカの影があちこちに残り、目の前の海からは、そのレベッカの乗るボートを飲み込んだ潮騒が聞こえる。決して幸福な結婚生活とは言えなかったマキシムとレベッカだけに、「わたし」のふとした疑問が、マキシムの心の傷をえぐる。
「わたし」が女主人となることをどうしても認められないダンヴァース夫人が、さらに「わたし」を陥れようとする。
が、先に堪え切れなくなったマキシムが、「わたし」に真実を告白する。
夫の秘密を知り、そしてなにより、夫の愛が自分一人のものだと知り、「わたし」は変わる。夫の大切な思い出なのだろう、とそのままにしていたレベッカの遺品をすべて処分し、ダンヴァース夫人にも毅然とした態度をとる。夫の「かんしゃく持ち」という欠点もズバリと指摘する。
その上で、夫を守り抜く決意を固めている。そのレベッカの姿こそが、この作品のキモなのだが、いくら大塚が健気で可愛くても、マキシムがバケモノでは…

大塚の「わたし」は、結婚後の衣装すべてがローウェストのワンピース。それが彼女の年齢よりも幼い雰囲気をよく出している。アクセサリーはすべてパールというのも、まっすぐで純潔な「わたし」を象徴している。夫の秘密を知った後の衣装だけは、胸のカットが深くなっていて、同じローウェストでも大人っぽさを感じさせるのもいい。
いわゆる東宝式発声なのだが、この作品では、それも可愛い効果となっているし、可愛くて健気で、「わたし」を演じるために女優になったような人だと感じた。

山口のマキシムは、劇場が大きくなった分、怪演っぷりにも磨きがかかっている。
モンテカルロの時点ですでにかなり面白い人になっている。
たぶん、より若く、よりやさしく、ということを意識しているのだろうが、怪物が猫なで声を出しているとしか…。
マキシムは、英国貴族で、人より優れたものをたくさん持っていて、だから、美しく賢いレベッカに憧れるだけでなく、その夫として立候補することに躊躇はなかったのだろう。ここまで順風満帆だった人生。これからも栄光の日々しか待っていないはずの人生。
しかし、レベッカとの結婚は失敗だった。それからの懊悩の日々は、レベッカの死後も続くことになる。
その懊悩が、なんというか「さまよえるオランダ人」だっけ?あんな感じ。(←観たことないけど)
その怒り、哀しみ、戸惑いの感情が激しすぎて、引くを通り越して笑ってしまう。リーヴァイの音楽が気持ちよく盛り上げていくせいもあるのだろうが、「巨人の星」ネタみたく、「おれはいまもーれつに●●しているっ!うぉぉぉぉぉ」とかやられると、「ここ、笑うとこですよね?」と感じてしまうのだ。
高音で、やや早口にしゃべるところといい、もう猿之助にしか見えない…。
そんな山口をキャスティングしたのだから、東宝はマキシムをそういう人として、この作品を上演しているのかもしれないが、私は、もっと普通のマキシムでこのミュージカルを観てみたいと思う。
鈴木綜馬さんとか、だめ?

怪物・山口祐一郎に対抗するには、人間アニメ演技の涼風真世っていうのもありかもしれない、と思って、今回は涼風ダンヴァース夫人を選んだのだが、これもちょっと違ったかな?
ナンバーの盛り上がりとか響きとかは、すごく好きな感じだったし、声質も好き。
でも、シルビア・グラブから感じる得体の知れない怖さはなかった。
つか、ちょっと面白かった。
「奥さまは、本気で男を愛したりはしなかったーっ!」
と、男役さながらの低い声で朗々と宣言されると、もしかして、この人が奥さまの恋人だったのかな?とか邪推してしまう。ま、当然ダンヴァース夫人がレベッカに向ける感情は、愛以外の何物でもないのだが、この場合、奥さまも振り向いていたのかな?と。

その他の登場人物は、みんなさすがによかった。
伊東弘美KENTARO夫婦とか、石川禅とかは、すごーくよかった。
寿ひずるの怪演、これは、どんどん空気読まずに膨らませてほしい、よい怪演だった!

南海まりちゃんは、最高にキュートで可愛かった。
アンサンブルばかりじゃなくて、主な配役のお仕事をしてほしいなぁ。小さな劇場でいいから。


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