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「冒した者」観劇 [┣演劇]

文学座創立80周年記念
文学座9月アトリエの会
「冒した者」


作:三好十郎
演出:上村聡史


美術:乘峯雅寛
照明:沢田祐二
音響:藤田赤目
衣裳:宮本宣子
舞台監督:寺田修
フルート指導:杉原夏海
三味線指導:松永鉄九郎
制作:白田聡、松田みず穂


昭和27年。東京にはまだ空襲で焼け残り、中途半端な形で存在する半壊した建物が存在していたようだ。
そんなヤバい建物に、9名の人間が暮らしていた。
戦争で家をなくしたり、家族を失ったり、仕事がなかったり…と、まだ生活を立て直せていない人々が、身を寄せ合うようにして暮らす建物。語り手の「私」(大滝寛)は、その中では一番の新参者。彼は劇作家だが、妻を亡くしてから、すべてに意欲をなくしている状態。
巨大な穴(隕石の痕のような)のある大きな岩のような不思議な、足場の悪いステージの上で、様々な人間ドラマが繰り広げられる。
まあ、途中までは、問題があっても家族の中の諍いだったり。
ところが、そこへ、3人も人を殺したらしい男が逃げ込んでくる。それを機に、微妙な均衡を保っていた9名のバランスが崩れ、誰も彼もが激しく罵り合うようになる。ま、そもそも、「私」以外の全員が親戚関係なので、この屋敷の相続など、諍いのネタにはことかかないのだ。
すべての原因である須永(奥田一平)は、人を殺した実感がない、と言う。彼が殺したのは、亡くなった恋人・鮎子の両親と偶然居合わせた米屋。恋人は、須永と心中する約束をしていたのに、直前に自殺したという。ここで暮らす医師の舟木(中村彰男)は、セックスフォビアが自殺の原因に違いないと言う。
舟木の弟、省三(佐川和正)は、戦争で人を殺した(捕虜を銃剣で突き殺した)ことがトラウマになっている。彼は、相場師・若宮(若松泰弘)の娘、房代(吉野実紗)に内心気があるのだが、彼女が進駐軍に出入りしていることが気に食わない。
ほかにも、この家のオーナー(元満洲の高官で高齢)と芸者の間に生まれた柳子(栗田桃子)は、三味線を弾いて日々を過ごしていたが、須永の来訪をきっかけに、突然色の道を思い出し、彼を追いかけ回す。
須永は、以前も「私」を訪ねてたびたびこの家を訪れていたが、鮎子という恋人がいるにもかかわれず、管理人、浮山(大場泰正)の遠縁の娘、モモちゃん(金松彩夏)のことをかなり気に入っており、鮎子が死んだ今は、かなりモモちゃんに気持ちが傾いている。
モモちゃんは、広島で原爆禍に遭った娘で、治療の薬がもとで失明している。


物語は、それぞれの人の心の歪みを浮き彫りにしながら、約4時間(間に休憩を2回挟む)の長丁場。それをを飽きさせずに、見せる演出に脱帽。決して奇をてらわず(舞台装置はかなりアバンギャルドだけど)、丁寧に各々の人物像を造形していく。
上演時間を知った時は目眩がしたが、終わった時は、不思議な高揚感の中にいた。


最後の方、月明かりの中、須永とモモちゃんが全裸で登場する。モモちゃんは、原爆のケロイドが半身を覆っているという設定で、左胸をあらわにしたくらいで、あとは肉布団だったりするのだが、須永は、全身を真っ赤に塗りたくった全裸。色が付いていれば、全裸で出てもいいんだ…てか、アトリエという狭い劇場で、全裸か…などと、そちらばかり考えてしまう修行の足りない私なのでした。(汗)


この物語は、昭和27年という、戦争からようやく立ち直ろうとし始めた日本の中で、市井の人々が日々とどんなふうに向き合ってきたか、みたいなことが丁寧に描かれている。
そこには、戦争の影が、まだ色濃く残っていて、社会を担うべき若者の多くが復員兵で、みんなトラウマを抱えていたり、大学生たちは、戦場に行った経験はないものの、須永のように、生きている実感を感じていなかったり。この作品に出てくる人物の特徴なのか、その時代の空気だったのか、私には知るすべもない。
でも、鮎子の父親が、元軍人と一緒に新しい何かを立ち上げようとしていたり、米屋が国民服を着ていたり…と、まだまだ戦後継続中だったのだろうな、と感じた。


決して楽しい作品ではないが、観てよかった。とても心が震えた。
そして、65年前の日本が、どこか、今の日本に似ているような気がして、背筋がぞくっとするのだった。


房代役の吉野実紗さん、「天守物語」「安倍晴明」で、ゆうひさんと共演していたのを思い出しました。


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