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配信「ノンセクシュアル」感想(クローバー&スペード) [┣演劇]

大空ゆうひ様、お誕生日、おめでとうございます[exclamation×2]


ファンになって以降、年初からお誕生日までの間、一度も生のお姿を拝見できない…なんてことはなかった…
(退団から女優復帰までの期間は1年を超えたが、玉三郎さんとご一緒した日舞の舞台がお正月過ぎにあったので、辛うじてお姿を見ることはできたのだ[ひらめき]
今は、配信のカルチャー教室やFCイベントなどで、ご無事を喜ぶのみ。
今後、コロナウィルス感染症対策が続く中、どのような応援方法があるのか、ファンとして悩ましいけれど、こういう時、「こうしてください」と指針をくれるFCがあることって、ひとつの安心材料になるな、と思う。
今までと応援のやり方は変わるかも…だけど、気持ちは変わらず、応援します[黒ハート]


では、配信で観劇した「ノンセクシュアル」の感想をあらためて。
私は観劇予定だったので、配信に変更した差額補填の一環としてプログラムが送られてきたので、他の配信では記載していないスタッフ表を記載しますね。ちなみにこの作品は、「おうちで演劇」作品ではなく、上演されるはずだった劇場を使用して録画し、公演が行われたと同じ回数、配信したもの。
(プログラムだけでなく、グッズとしてカモノハシクリップなんかももらったんだけど、メリゴ解散しちゃって、スタアに渡すチャンスなくなっちゃったなぁ~[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


「ノンセクシュアル」


原案:森奈津子


脚本:潮楼奈和
演出:西沢栄治


美術:片平圭衣子
照明:稲葉直人
音楽:川野直輝
音響:加藤温
衣裳:小泉美都
ヘアメイク:sleep
演出助手:石井麻莉
舞台監督:鳥養友美


プロデューサー:三宅優
企画:Zu々
共催:横浜赤レンガ倉庫1号館(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)


<配役>
藤木瑛司(バイセクシュアル)…相馬圭祐[クラブ]相葉裕樹[スペード]
村山蒼祐(ノンセクシュアル)…相葉裕樹[クラブ]鯨井康介[スペード]
秋野侑李(アセクシュアル)…鯨井康介[スペード]相馬圭祐[クラブ]
浅井塔子(ヘテロセクシュアル)…さかいかな
富永秀樹(ゲイ)…松村龍之介


登場人物はそれぞれ違う性的指向を持つ6人の男女。
ちなみに原作は、女性のバイセクシュアルを主人公とした物語なので、設定等まったく違っている。その辺は、原作者とプロデューサーの間の信頼関係でクリアされているとのこと。発端は、相馬、相葉、鯨井の三人が、ストレートプレイで共演したい…というところから始まっているので、男性を主人公にした物語にするのは決定事項。
わざわざ女性主人公の舞台をひとつ奪うなよ…という考え方もあるかもしれないが、この成功を機に、女性版の舞台を作っていただけたらな~と要望を書くに留める。
(それくらい、女性を主人公にした良質の作品は少ない。)


主人公の藤木瑛司は、ビジュアル系ロックバンド、ネメシスに所属している。(プログラムによるとボーカル&作詞担当で絶対音感があるらしいが、それはセリフにはない。)
過去に新聞記者の浅井塔子と恋人関係にあったが自然消滅し、今は、デパートの外商部に勤める富永秀樹と同棲している。物語は、ネメシスのライブを見に来た塔子との関係が復活し、それを秀樹に告白するところからスタートする。
瑛司は、男の恋人は秀樹、女の恋人は塔子、と、どちらも手放したくない。
しかし、秀樹は逆上し、自分は誰かとパートナーを共有なんてできない[exclamation×2]と、瑛司に別れを告げる。
一方、塔子は、ちょっとしたケンカで別れたりしないように、結婚か、同棲か、とにかくもう一段上の関係になりたいと、希望している。そんな塔子だって、もちろん、男と瑛司を共有するなんて、もってのほかだ。
作詞中で部屋に塔子を入れたくなかったため、外で待ち合わせた瑛司は、自分の希望を述べて逆上され、襲われているような形になったところで、村山蒼祐という男に救われる。
男が女に襲われているところを助けてくれるなんて…と驚く瑛司に、蒼祐は、初対面とは思えない親密さを見せる。
瑛司には、子供の頃からの腐れ縁ともいえる友人、侑李がいる。彼は恋愛や性欲に無縁のアセクシュアルだが、男にも女にも見境なく恋を仕掛ける瑛司は、そんな侑李にとって、面白い観察対象なのだった。
蒼祐は、瑛司に、強い友情を感じているようだったが、彼のプレゼント(金の指輪)は友情の証としては、ちょっと重すぎる…と、瑛司は拒否する。それとも、これは恋愛ということなのか[exclamation&question]と聞かれ、蒼祐は、怒る。僕たちの友情を汚らしい色恋と一緒にしないでほしい、と。
瑛司に話を聞かされた侑李は、蒼祐が自分の同類なのでは[exclamation&question]と興味を持つ。
一方、瑛司から距離を置かれた蒼祐は、それが、塔子や秀樹の影響ではないかと思い、二人を殺害する。蒼祐の家庭の事情(両親と弟が昨年同時に亡くなった)を死ぬ少し前の秀樹から聞かされていた瑛司は、蒼祐から自殺をほのめかす連絡があった時、つい彼の家に向かっていた。
そこで蒼祐から猟銃で足を撃たれた瑛司は、彼の身に起きた悲劇を聞かされる。
彼は、父に疎まれた継母から犯され、弟は生物学的に彼の息子だった。そのことが村山家の悲劇の発端だった。(恐ろしすぎて記憶があやふやだが、蒼祐が弟を2階から投げ落として殺し、息子の死にショックを受けた父親が母親を殺して自殺したんだったかな、たしか…)
彼は、性と性欲を嫌悪し、女に襲われて拒んでいる瑛司を同類だと思って近づいたのだと。(真逆の人に近づいてしまったのね[ひらめき]
もうあと少しでTHE ENDというところで、侑李が助けてくれ、瑛司は命拾いをするが、蒼司は、もう一度瑛司を手に入れるため、警察の手を逃れるためにその場を離れる…というところで物語は終わる。


衣裳とメイクもちゃんとした状態で、それぞれの俳優が前後左右をアクリルで覆ったボックスに入って台本を読む。拒絶された蒼祐が、ナイフでアクリルを刺して絶叫するシーンは、こういう上演形態だったからこそできる演出で、災い転じて…というか、こういうところに演出家の手腕が発揮されるのを見るのは気持ちがいい。


さて、セクシュアリティをテーマにした作品は、センシティブというか、作る側も、鑑賞する側も、その人の人間性とか、社会性のアップデート状態とかを注視される機会になり得るので、考えれば考えるほど逃げ腰になってしまいがちだが、見たからには、逃げずに、そこも含めて感想を書いていきたい。
この芝居は、各セクシュアリティことに一人のキャラクターが出てくるが、そのキャラクター(性格づけ)が、そのセクシュアリティの代表的な人物像であるわけではもちろん、ない。たとえば、バイセクシュアルの人間が、常に同時に男女それぞれに対して性的欲求を持つかというと、そんなことはない。(これは、プログラムにも書かれている。)
ヘテロセクシュアルしか登場しないドラマの中では、普通に、あの人はこういう性格で浮気性で、あの人は一途な人…みたいに納得されるのに、セクシュアリティを纏った途端に、その性指向の代表として受け止められないか…と、主催側が心配してプログラムに書き込んでしまうほどに、この問題はセンシティブである。
それはたぶん、性の多様性と言いながら、「とはいえ、私の周りには、そんな人いないから」と誰もが思い込んでいるからじゃないだろうか。だから、創作上の人物にしか多様性を想像できない。
かく言う私は、LGBTアライとして、自分に何ができるだろう[exclamation&question]と考えて、「LGBTとはなにか」みたいな講座を受けに行ったことがある。当事者の方にもいろんな考え方の人がいて、たとえば、自分を「LGBT」と表現するのがありかなしか、というところでも意見が食い違っている。(そのまま受け取ると、“私はLGBTです”というのは、レズビアンでゲイでバイでトランスジェンダーなので、そんな人いないから…ということだ。ただ、LGBTのどれかに当てはまる当事者です、という意味に受け取れば、ありになると思う。)
当事者ではないから、もっと当事者の意識を知りたいと思って、講座を受けてみたら、現在の性的指向インタビューに自分を当てはめると、なんと、私は、“ノンセクシュアル”の概念に該当することが分かった。しかも、講師いわく、「大学でもこのテストをすると、女子学生の半分くらいはノンセクシュアルですね」。
これは、現在のテストが、「異性に恋愛感情を持つ/異性に性的欲望を感じる」=ヘテロセクシュアルになっているからで(以前は、「異性に恋愛感情を持つ/異性に性的魅力を感じる」=ヘテロセクシュアルだった)、性的指向と恋愛指向についても分けて考える最新の考え方に基づいているらしい。
もっとも、狭義のノンセクシュアルは、異性・同性のどちらにも性的欲望を感じない、というよりは、性的なものに嫌悪を感じると言われているので、性指向のグラデーションの中では、私など風が吹けば飛ぶようなもので、LGBTQ当事者です、と公表したいわけではない。ただ、これを聞いて、ある種納得できたものがあったのは事実で、もっと早く知っておけばよかったな~とは思った。(短大卒業時に学内報に掲載された小論文、あれ、カミングアウトじゃん[あせあせ(飛び散る汗)]
簡単にセクシュアリティ診断ができるサイトも見つけたので、皆様もよかったら、ご確認ください。いろいろなジェンダーやセクシュアリティに関する用語も学べて、初心者には良いと思います。


セクシュアリティ診断サイト


瑛司は、バイセクシュアルであるのをいいことに、二人の人間と同時に付き合おうとする身勝手な男である。男と女は(恋愛対象として)別のものだし…と、バイの自分には二倍の権利があるようなことを平気で言う。このドライな身勝手さには、相馬のカラッとした芝居の方が相性がいいように思えた。相葉は、彼自身の優しさが反映してしまうのか、自分勝手になれないリーダー気質のせいなのか、キャラが合わない感が終始付きまとった。
これはもしかしたら、舞台で見ると(全身で演技をすると)、全然違ったものが見えるのかもしれない。
一方、粘着質で、潔癖でピュアな蒼祐には、相葉のウエットな芝居が映える。高校生時代の蒼祐は、さぞ襲いたくなる美少年だったであろう、ということも想像に難くない。鯨井の蒼祐は、結果としての、頑なで思い込みの激しい、心を閉ざした青年像が見事に表現されていた。この蒼祐という役は、俳優によって、振り幅が出てくる部分だな、と感じた。
侑李役は、鯨井相馬も大差ないな、と思った。キャップを後ろ向きにかぶって、大きな眼鏡をしていて顔や髪型がよく見えなかったせいもあるかもしれない。あと、演出のせいか、違いがほとんど感じられなかった。
ゲイの秀樹を演じた松村は、簡単におねえっぽい芝居をするのではなく、男性として仕事をし、男性を生涯のパートナーに選ぶ一人の人間(オネエキャラを否定したいのではなく、この作品の秀樹は、そういう役柄だったのね)を敬意をもって演じていたのが印象的。
さかいは、まだこんなことになる前の2月に、「弁当屋の四兄弟」で観劇していて、この作品でまた会えるのを楽しみにしていた。今回は映像だったけど、またきっと舞台で会えると信じている。というファン心は置いておいて、きっぷのよい、能動的なヘテロセクシュアル女性で、かといって色気過剰ではないかっこよさがあって素敵だった。声優さんもやっているので、口跡鮮やかなのも魅力。


来年、同じ場所で、上演されると聞いている。どうか、チケットが取れますように。
その時は、普通に満席の座席で見られるといいな。


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