「スカーレット・ピンパーネル」に登場するプリンス・オブ・ウェールズは、「Kean」に登場するプリンス・オブ・ウェールズと同一人物。
キーンが活躍した時代は、ジョージ3世からヴィクトリア女王の治世の間だが、この間、プリンス・オブ・ウェールズの地位にあったのは、後のジョージ4世ただ一人だからだ。
ジョージ4世は、ジョージ3世の長男で、父が病床にあった1811年以降摂政皇太子として実質的に王座にあり、その後、父の死によってイギリス国王になった。9年間摂政、10年間国王だったが、妃との不仲は有名で、後継ぎがいなかった。
そのため、その死後は弟のウィリアム4世(←「TRAFALGAR」に登場するウィリアム・ヘンリー王子(十輝いりす)のこと)が即位したが、彼も妃との間には娘が二人いるだけで、しかも夭折したため、王位は、さらに弟の娘であるヴィクトリアのところに行くことになる。(同時に即位することになるハノーファー王はさらに次の弟のところに行くのだから、ジョージ3世は子沢山だったのだろう。)
こんな状態なので、正式な皇太子である“プリンス・オブ・ウェールズ”の地位は、ジョージ4世以降は空位だったというわけ。(ウィリアム・ヘンリー王子は即位するまでクラレンス公だった。)

スカピンのプリンス・オブ・ウェールズ(桐生園加)=キーンのプリンス・オブ・ウェールズ(柚希礼音)ということは、このプリンスはきっとダンスが上手だったんじゃないかな?

父のジョージ3世は、フランス革命勃発~ナポレオンの時代、ずっとイギリスの王位にあった。
トマス・ハーディー(悠未ひろ)が、戦う理由を聞かれて、「ジョージ国王陛下のため」と答える、そのジョージ国王は、ジョージ3世のことであり、だから、ネルソンの盟友であるウィリアム・ヘンリー王子以外にも、当時のロンドンには遊び人のプリンス・オブ・ウェールズが闊歩していたはずなのである。
こんな破天荒なプリンスに、新聞の社交欄は独占されたと言われている。
もしかしたら、ネルソンのスキャンダルは、プリンスのおかげで、少しだけ書かれずにすんだかもしれない。