オリックス・バファローズが日本一になった。


最近はあまり熱心に日本のプロ野球を見ていないが、前世紀は、よく球場に足を運んでいた。東京ドーム、神宮球場、マリンスタジアム…もっと昔は、もっぱらテレビ観戦だったが、忘れられない日本シリーズがある。
1978年、いわゆる「江夏の21球」で有名な、近鉄×広島の大会だ。
その時、近鉄の監督は西本幸雄さんで、彼は、以前、大毎や阪急の監督をしていて、その時V9中の巨人などに敗れること6回、7度目のチャレンジだった。当時、パ・リーグはシーズンを前期・後期に分け、それぞれの優勝者がプレーオフで戦って日本シリーズの挑戦権を決めていた。(クライマックス・シリーズは存在していない。)
プレーオフを神がかり的に勝ち上がった近鉄だったが、プレーオフの守護神・山口哲治の不調もあって、3勝3敗で最終戦を迎える。4対3で広島が勝ち越している状態で、9回、江夏が登板。が、いろいろあってノーアウト満塁という、近鉄としては大チャンス。が、そこからの江夏がすごかった。特に石渡のスクイズを見破ったところは、もう…#59123;#59123;#59123;
近鉄は、翌年もプレーオフを勝ち上がり、再び広島に挑戦するも、やはり3勝4敗で敗退。結局、西本さんは日本一になることなく、監督を辞めた。
そして、10年後の1989年、加藤の失言事件で、巨人相手に3勝4敗で敗退。(←別に失言で負けたわけではない。3連勝した後に、ヒーローインタビューで、巨人打線を“たいしたことない”とか言っちゃったんですね。のちに「巨人は(パ・リーグ最下位の)ロッテより弱い」と書かれた事件です。ヒーローインタビューをその場で聞き、その後、スポーツ紙で“ロッテより弱い”を見た巨人ナインが怒りで目を覚まし、そこから4連勝して西鉄以来の大逆転優勝を決めたんですね。シリーズに弱いと評判の原辰徳もこの時ばかりは、満塁ホームランを打ちました。)
そこから、近鉄は、日本シリーズに出ることなく、2004年に経営難から、オリックス野球クラブに営業譲渡される。
※msyさまからご指摘がありました。2001年、梨田監督の時にも近鉄は優勝しているそうです。日本シリーズでは、ヤクルトに負けて、やはり日本一にはなれなかったのですが…。大変申し訳ありません。


オリックス・ブルーウェーブは、名称をオリックス・バファローズに改称したが、選手は、新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスとオリックス・バファローズに「分配ドラフト」で配分された。オリックス・ブルーウェーブと近鉄バファローズの選手が、オリックス・バファローズと東北楽天ゴールデンイーグルスにそれぞれ分配されるという、はちゃめちゃなことが行われたんですが、この年のプロ野球は、多くの球団がギブアップを表明していて、一時は2リーグ維持も難しいかも#59139;って状態だったので、正直、この程度のことでは驚いてなかったような気がする。


あれから18年ー
オリックスとしては、1996年、「がんばろうKOBE」以来の優勝ということになるのだが、あの時代、近鉄をちょっとだけ贔屓していた身としては、バファローズという名の球団が日本一になったことに、胸がいっぱいなのだった。