初めて参加する「真剣乱舞祭」の前に、城に寄ってアウェイ感を払拭しよう#59138;と思い、仙台城には何度も行っているので、白石城に行くことにしたのですが…
宮城県といえば、今年大きな地震があったはず…と、JRのチケットを買う前に城のHPを見て、被害による工事等の記載がないことは確認していたんです。とはいえ、一度チケットを買ってしまってからは、HPを見ることもなく…白石蔵王駅(新幹線で仙台のひとつ前の駅)からタクシーに乗った時、運転手さんから聞いて、初めて復旧工事していることを知りました…#59136;#59136;#59136;
HPの更新できないほどバタバタしていたのか、工事の日程がその後決まったのか…いずれにしても、震度6の地震ですもんね。仕方ありません。



タクシーを降りたら、もう、こんな感じです。いきなり、城#59138;
ここ、白石城は、伊達政宗の家臣、片倉小十郎景綱の城、という風に宣伝されているが、そもそもは、豊臣の時代に、秀吉が、伊達家の支配下にあったこの地方を没収して蒲生氏郷に与え、氏郷の家臣が築城して城主となったのが始まりとのこと。その後、上杉領となり、こちらも上杉家家臣が城主となる。
で、関ヶ原の直前に伊達政宗がこの地を攻略して伊達領とし、家臣の片倉に与えたってことらしい。
政宗さん、根に持ってたんですね。



大手一ノ御門。激しく工事中でした。



工事していないところも、石垣の辺りは、コーンに囲まれていました。たぶん、この辺が、二ノ御門だと思われます。



こちらが本丸跡。天守の真下が本丸という位置関係です。



む…無念…#59136;#59136;#59136;
これは修復なったら、絶対にリベンジしたいと思います。



片倉小十郎の記念碑。天守と同じくらいインパクトある大きさ。
白石の方たちは、みんな、小十郎が大好きなんですね。
ちなみに、大坂城落城前、真田信繫(幸村)は、死を覚悟し、敵将である片倉小十郎に、子供たちのことを頼んだそうです。そして、信繁の姫を白石城で養育、姫は小十郎夫人に可愛がられ、夫人が亡くなる時に、自分の後は、姫を後添えに…と言い残したとか。
そんなこんなで、真田の姫の一人が、白石城主夫人になっていたのか…#59140;真田丸ファンとしても、やはり、何年かしたらこの地を訪れたいな~と、あらためて思いました。


帰りは、JR白石駅まで歩き、東北本線で仙台までのんびりと揺られていきました。