宙組東京公演「Shakespeare」、出演者の熱演もあって、素晴らしい#59138;という声しか聴こえてこない。私のような感想は少数派なんだろうと思いつつ、なんかなー#59134;という気持ちは晴れない。
大劇場で観た時の、親子の確執だったり、夫婦の軋轢だったり…のややあっけない解消感は、出演者の演技が深まったことで、それほど気にならなくなったが、サブタイトル「空に満つるは、尽きせぬ言の葉」が、“ホントか#59139;”という印象を受けるところは、いまだ解消しない。だって、脚本が変わっていないんだから#59134;
宝塚は、出演者ありきの舞台なので、脚本ありきで語るのは、あんまりメジャーな観劇法ではない。楽しかった、素晴らしかったという感想に水を差すつもりはさらさらなく、まあ、なんつーか、単なるシェイクスピアファンの愚痴なので、お気に召さなかったら、途中でUターンしてくださいませ。

ウィリアム・シェイクスピアの人生を舞台化する―そんな壮大な夢をかなえられるとしたら、どんな脚本を書くだろうか?
シェイクスピアの作品を劇中劇に入れたい!
まず、そう考えるだろう。でも、劇中劇は、そんなにたくさん入らない。芝居の尺の問題もある#59136;#59136;#59136;
となると、次に考えるのは、シェイクスピア作品の台詞をできるだけちりばめたい!ということになる。
生田先生も、おそらくそういう思考を辿ったのじゃないかと思う。
そういうわけで、本作品の中にも、著名なシェイクスピア作品の台詞やシチュエーションがちりばめられている。
しかし、ここで、大きな問題が発生する。
生田先生は、シェイクスピア作品が時を越え、400年後の我々の心をも魅了するのは、『彼の言葉(台詞)が特別だから』という定義をしている。私もこれにはまったく同意。シェイクスピアの「言葉」には、力がある#59140;そして、シェイクスピア自身、自分の「言葉」に相当の自信を持っていたことは疑いがない。
「リチャード三世」「ジュリアス・シーザー」など、膨大な言葉の羅列により、人の心をひっくり返したり、「オセロー」や「冬物語」のように、言葉だけで火のないところに煙を立たせて人を死に追いやったり、「言葉」を操ることで、彼はなんでもやってのける。
シェイクスピアの「言葉」は、無双なのだ。
こんなことは、もちろん、シェイクスピア以外の誰にもなし得ない。

ところが、本作では、シェイクスピアテイストを作品のすみずみに行きわたらせようとするあまり、さまざまな登場人物が芝居の外側でシェイクスピアの台詞を口にする。自分の言葉として#59134;
これじゃ、シェイクスピアのすごさが伝わらないよ~#59123;
みんなが、詩人で役者になってる#59138;

さらに、せっかくの劇中劇が「言葉」に重きを置いていないため、素晴らしさが伝わりづらい。せめて「ロミオとジュリエット」のバルコニーの場面だけでも、そのまま小田島訳で1分半でいいから突っ走れなかったのか。あのジュリエットの独白だけで、シェイクスピアが400年残った意味がわかるのに、なんだあの省略は!#59132;#59132;#59132;
まあね、ヒロインでもない純矢ちとせに、そんないい場面与えてる時間はなかったのかもしれない。かといって、史実版でみりおんに長々言わせるんじゃ意味がないし。それじゃ、アンが発案した台詞になっちゃうもんね…。
生田先生の苦悩は、察するに余りあるが、でも、あんな刈り込み方は、同じシェイクスピアファンとして、まったく納得いかないぞ#59121;

まあそもそもシェイクスピア出奔に絡む回想シーンは、現実の過去と芝居がごっちゃになっているので、どっちがどうとも言い難いシーンではあるのだが、それゆえにシェイクスピアの「言葉」の素晴らしさが彼の作品から伝わるチャンスを奪っているように思う。
芝居としては面白いシーンだと思うので、どっちも取りに行くのは難しい、ということだろう。

また、劇中劇もすべてワンシーンで、「言葉」にフィーチャーしてはいないので、女王から反逆罪で死刑を言い渡された時、なぜ、サンサンプトンやエセックスが、自分達の命はともかく、シェイクスピアを殺すことは世界の損失とまで言えるのかが、ここまで提示されたものでは伝わらないのだ。
まあ、とはいえ、よく考えてみれば、ある架空の人物について、その人の才能をあれこれ述べ立てる場面があったとして、そこまでの経緯で彼の天才性がよくわからなかったとしても、そのシーンを見たら、ふーん天才なのね!と素直に思うかもしれないので、この辺も、シェイクスピアを愛する私から、シェイクスピアを愛する生田先生への無理な要望なのかもしれない。
でもね、せっかく没後400年メモリアルなんだから、もっとシェイクスピア作品を「言葉」込みで取り上げてほしかったな~#59124;と思う。ファーストフォリオまで舞台装置にしてるんだから。

ちなみに、生田先生は、プログラムの作者言の中で、シェイクスピア自身を取り上げた先行作品として2本の映画を提示している。「恋に落ちたシェイクスピア」「もうひとりのシェイクスピア」という作品だ。
本作は、「もうひとりのシェイクスピア」に登場する魅力的なエピソードがいくつか採用されているし、「ロミオとジュリエット」の台詞が実体験からきているというプロットは、「恋に落ちたシェイクスピア」と同じ。決して真似しているわけではなく、先行作品へのオマージュなのだろうと思う。
サウサンプトンの見事な金髪は、まさに「もうひとりのシェイクスピア」に登場するヘンリー・リズリーそのもの。この作品では、サウサンプトンとエセックスの反乱から、エセックスの処刑、サウサンプトンの助命が描かれる。そして、生田先生の本作でも、「時の霊」役の(ちがう#59142;)リチャード・バーベッジが、その後の二人の運命を説明する。
でも、エリザベス女王の前であんなに可愛くじゃれてた二人が、どうして反乱を起こすのか…少なくともこの芝居の中にはその要因は描かれていないので、それは、とっても蛇足だと思うんだな#59134;

と、とりあえず、言いたいことは言えたので、作品の感想は、シェイクスピアの言葉に関する部分には触れないようにしよーっと。

“今日は何の日”
【3月7日】
1948=昭和23年
のこの日、消防組織法が施行されたことから、「消防記念日」となりました。