日本百名城をめぐる旅、今年は、東北&北海道の旅となりました。まずは、東北新幹線に乗り、盛岡へ。
バス停に到着すると、いきなり、こちらの枝垂桜。これは素晴らしい#59125;と気分が上がったのもつかの間、どうやら、盛岡城ご自慢の石垣が、現在大修復中なんだそうです。
ぐるりと外堀沿いに回って、看板を発見#59138;
園内には、たくさんの池があって、緑も多く、城に興味がなくても、散策を楽しめるつくりになっているようです。
まずは、いつものように、スタンプをいただくため、隣接する「もりおか歴史文化館」へ。
スタンプは、受付兼お土産コーナーの係の方に出していただきます。レジを使用しないため、接客中でも応対可能なようです。御城印希望の場合は、レジ列に並ぶ必要があります。
東北は枝垂桜が多くて、弘前城でも染井吉野と同じくらいの本数を見かけました。
特に今年は、予想外に染井吉野が早く咲き、通常の花見を期待していた観光客には残念でしたが、その残念さを補って余りある、美しい枝垂桜に各地で癒されました。
枝が自重を支えきれないので、藤棚のようなもので保護していて、手厚さを感じました。
さて、盛岡城の城主は代々南部氏ですが、奥州南部氏は、南北朝時代から江戸時代まで、北東北の主に太平洋側の広い地域を一族で治めていたそうです。
※「三日月の丸くなるまで南部領」と謳われるくらいの領土。
その城跡は、全部で14あり、御城印を集める「南部お城めぐり」という企画もあるようです。
こちらが、その台座です。
青銅製の像だったため、太平洋戦争の時に、金属供出となり、現在は大きな台座だけがむなしく残されています。
建物はすべて明治の初めごろに取り壊されているので、広々としています。
天守台はあったのですが、天守は築かれず、代用の櫓が建っていたそうです。(のちに天守と改称。)
本丸の桜(染井吉野)はほぼ散っていて、既に新緑の季節に移行しているのを強く感じました。残念だけど、こればっかりは、自然のなせる業なので。
ここの石は大きめだし、隅石(角の部分)から左は、切込みハギ(巨石をまっすぐに切って、必要なサイズにして重ねる手法。新しい工法)になっていますね。その向こう側は、打ち込みハギ(石を加工しつつも本来のサイズ感を大事にする工法)なので、見栄えを考えて両方の工法を採用している感じですね。
私の幼少の頃は、辞書の編集でおなじみでしたが、今は、金田一くんの「じっちゃん」の名前のモデルと言った方が通りがいいのかな。
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」
と書いてあるそうです。
不来方(こずかた)城は、盛岡城の前身の城の名とのことですが、一般的に盛岡城の別名と言われているそうなので、啄木もその意味で使っていると思われます。盛岡城は17世紀には完成しているため、啄木が行ったのは、当然、盛岡城のはずなので。
石のつなぎ目に詰めてある小石については、こんな風に山になっていました。いつか、美しく修復された石垣にも会いに来なければ…#59140;
※三日月の丸くなるまで南部領 というのは、南部氏の治めていた地域が、東北に三日月状に分布していて、三日月(の端が接近して)円になるようなくらいの領地という意味のようです。いただいたチラシに南部氏の城一覧が載っていたので、「三日月」を作ってみました。