関西に行くついでに安土城に行くことにした。満を持しての安土城です#59116;


東海道線の安土駅に降り立つと、駅前にレンタサイクルのお店を発見。お城まで徒歩で50分と書いてあったので、これは自転車、いいじゃないの~#59126;と、借りることに。
お店のおばちゃんに地図をもらって、いざ出発#59140;
しかし、この地図が、かなり罠で…#59134;まったく見当違いの方向に行った私は、最終的にはグーグル先生のお力で、なんとか安土城に到着することができた。
ありがとう、グーグル先生#59116;
苦労したけど、美しいこの景色#59128;


積み上がっている段数は少ないのだけど、石垣が多い。本当に美しい。
つい、見とれてしまって、歩くスピードが遅くなってしまった。


はい、こちらが、噂の大手道です。戦国時代のお城は、とにかく道がくねくねしている、というのが定番。
しかし、この安土城の大手道は、まーっすぐ伸びている#59130;このまーっすぐ感が、覇王・信長らしいな~と感じた。
麓の休憩所みたいなところで、案内の方にうかがうと、どうやら、本丸に天皇陛下をお招きするための休憩所が設けられていて、そのために本丸の設計は清涼殿を模していた…とのこと。
なので、大手道がまっすぐなのは、天皇が乗るための輿を運びやすくするためではないか…というのが最新の学説のようです。


とにかく、山、山、山、どこまで行っても階段…ようやく、「天主閣跡」に到着。
あ、安土城は、「天守」ではなく「天主」と言います。
この字を使うのは、織田信長だけが、天主閣に住んでいたからかもしれない…と私は思ってます。


その天主跡からの眺めはこんな感じ。
すごく見晴らしがよかったです…というか、苦労して登ってきた喜びが、ふつふつと…#59116;


天主閣の帰りは、少し遠回りして、安土城の中に作られた摠見寺(そうけんじ)跡に向かう。
途中で見かけた石垣。
当時の石の積み方は、野面積み。
信長の城は、穴太衆(あのうしゅう)という石工集団が石垣を積んだそうだけど、見事な積み方だな~と、惚れてしまう。


摠見寺の伽藍は、安土城が燃えた時には焼失を免れたけれど、江戸末期に火災があり、焼失してしまったのだそうです。
こちらの三重塔は、そもそも15世紀からあるものだそうで、摠見寺の建立に際し、移築されたものだそうで、今もその優美な姿を残している。


麓に降り、ようやくホッとしたものの、帰り道も微妙に道に迷ってしまい、余計なサイクリング時間を費やしてしまったのでした。
ま、そもそも方向音痴で、こればっかりは治らないようです。


駅前の信長さんにご挨拶して、安土を後にしました。


この駅には「観音寺城」もあるし、信長の館など、休館日で行けなかった施設もあるので、必ず近いうちに戻ってくることを誓って、岐路に着いた。


やっぱ、信長、すごいっ#59116;