東京都にありながら、いまだに訪れていなかった八王子城、満を持して行ってきました#59140;


中央線高尾駅で下車、祝日は、八王子城直通のバスが出ているので、そのバスを利用しました。1時間に1本しか出ていないので、時間を調べて行った方がいいです。ただ、八王子駅北口には、ショップ併設の喫茶があって、食事もできるので、助かりました。


高尾駅からバスで15分くらいでしょうか。
降りてすぐのところにガイダンス施設があり、そこで北条氏の歴史などを学びつつ、スタンプを押して、いよいよ、八王子城へ。


え、なんか、山#59139;(今頃、気づいたヒト)
この日は、夏のような暑い日。こんな日に山登りですか#59142;#59142;#59142;


若干引きながら、帰りのバスの時間を計算し、山頂の本丸まで行けなくても、時間通りに戻ってこようと決める。


まだ、まったく山に行ってませんが、既にこの時点で、深い濠発見。さすが、北条の城ですね。
八王子城は、小田原征伐の一環として、秀吉軍に攻められ、女子供を含む多くの犠牲者を出した城でもあります。
北条の城は、どこも鉄壁の防御網で、それを秀吉軍は人海戦術で打ち破っていくんですよね。いったいどれだけの兵を犠牲にして戦っていたのか…と思うと、胸が痛みます。


こちらは、川の斜面に作られた「橋を架けるための橋台石垣」の跡とのことです。ここに簡単な木橋を架け、敵が侵入する際には、橋を壊して侵入を防いでいたとか。


こちらは、築城当時の石垣。
400年前に積まれた時と同じ状態とのことです。
素朴な野面積みが素敵ですね。
いつまでも眺めていられます#59116;


では、ここから主殿に向かいます。


ご主殿虎口最後の門です。
石畳のようになっているのは、階段状であることも含め、当時のものを正確に復刻したものです。


こちらが、ご主殿になります。
通常の城でいうところの、本丸ですかね。
ちょうどよい広さで、居心地のよい場所でした。
ここに、城主・北条氏照の居館があったとのこと。
発掘作業により、多くの遺構がどんなふうに存在していたかがわかり、それを今度は、訪れる人のために、わかりやすい形で紹介する…大変な作業をされてきたことが伝わるご主殿の様子でした。


こちらは、会所(宴会場みたいな?)部分の景色。
同じ小田原征伐でやられたけど、山中城の方が、戦闘に特化していた感じで、こちらは、まだ城主の安らぎの場、みたいな空気を感じる。


と、ご主殿を散策して、まだ、時間があったので、山頂のホンモノの本丸に行くことに。
すごく暑い日だったので、躊躇はしたのですが…勇気を振り絞って#59140;


登山…と言ったら、さすがに盛り過ぎですが、息が…(もちろん、さすがに、ここではマスクを外しました。マスクしてる方は、さすがにいらっしゃらなかった#59142;)


そして、登ること20分、とうとう、この光景が。
うわー、絶景#59140;


うっそうとした木の間をひたすら歩いていたので、ここで視界が開けた時は、感動で言葉になりませんでした。
前後を行く方達とも、自然に言葉を交わし合い、和気藹々とした登山でした。黙々と登ることも多いので、土地柄なのでしょうか。行き交う時に、自然に挨拶し合うような空気感で…#59116;


こちらが、山頂の少し下にある八王子神社。
延喜13(913)年に華厳菩薩妙行が、山中で修行している際に出現した牛頭天王と8人の王子に会ったので、延喜16(916年に八王子権現を祀った…という伝説に基づき、氏照は、八王子権現を城の守護神にしたとのこと。
それが八王子という地名の元になったそうなので、氏照は滅びても、関東に北条の名残は今でも残っているということなんですね。
今は、もう神社としての機能は終わっているとのことです。


さらにひと登りして、ようやく山頂の本丸に到着。
「八王子城本丸址」という石碑がありました。
本丸といっても、山頂のスペースはとても狭くて、ここにある程度のサイズの建物が建っていたとは思えない感じです。


山頂にも祠があり、こちらは、銭函があったので、無事登頂できたお礼を込めて、お賽銭を入れてきました。
下りは一気に降りることができ、帰りの直通バスにも無事乗れて、楽しい小旅行となりました。