2014年6月、名古屋城から始めた「日本百名城」めぐり、今回、ちょうど中間点、五十番目の登城を達成しました#59140;記念すべき50番目のお城は、山口県の岩国城、吉川広家が築城した山城です。


山口県といいつつも、JR広島駅から1時間くらいで岩国駅に到着。山陽線は本数も多く、岩国駅はターミナル駅として機能している。
岩国城に行くには、錦帯橋行のバスに乗って15分、そこからロープウェイに乗るとのこと。錦帯橋行のバスは、直通のものと路線バスがあるが、ちょうど路線バスがいたので、そのまま乗車した。
錦帯橋バスターミナルに到着し、バスを降ろされると、一瞬、どこに行けば#59139;となるのだが、道路の方に出ると、左手に、すぐ錦帯橋が見えた。
そして、山の方に目を転じると、頂上近くに、かすかに城らしきものが…超山城#59140;


その時点の位置関係は、こちらの図の通りです。目の前に川があって、左手に錦帯橋、右手に鉄の橋が見え、ロープウェイに行くには、鉄の橋を渡った方がいいように見えたんですね。
あと、「錦帯橋を渡ると錦帯橋が見えない」ということもあり、右側の鉄の橋を渡ることに決めた。


しかし、これから行かれる方にアドバイスするなら、錦帯橋を渡った方がいいかも…と思います。というのは、錦帯橋とロープウェイと岩国城のセット券が販売されているから。
ロープウェイを降りて、お城でそのことを聞かされても、もう、後戻りはできないし、セットものをバラで買ってしまった悔しさもあり、帰りも鉄の橋を渡った私…#59136;#59136;#59136;いつかリベンジしたいと思います#59140;


というわけで、鉄の橋を渡りながら、眺めた錦帯橋がこちらになります。


錦帯橋は、松島や、天橋立などとともに、大正11年に国の最初の名勝に指定され、昭和25年の文化財保護法によってあらためて名勝に指定されているとのこと。
完全に負け惜しみになりますが、この橋を渡りながら、「やだ、渡りづらい…#59142;」とか、友人と話しながら渡る方がきっと楽しいと思うので、いつか、普通に旅行ができるようになったら、リベンジしたいと思います#59133;


鉄の橋を渡り、ロープウエイに行く地図を探していると、この辺に佐々木小次郎の銅像があるとわかったので、探してみました#59140;
いた#59140;#59140;#59140;
待ちぼうけみたいな感じで可愛い#59116;そして、ほんとに刀が長い#59138;(こんなに刀が長かったら、そりゃ鞘は捨てるやろ…#59134;)


ロープウェイに乗ると、岩国城までは、スロープの舗装された道or山道、どちらのコースでも8分くらいで岩国城に到着する。


岩国城は、1600年、関ヶ原の年に、この地に転封になった吉川広家によって築城された。
その後、1615年の一国一城令によって廃城となり、天守等は破却された。
この天守は、1962年に復元されたもの。


いや、もう天守自体が山頂にあるので、見晴らしは絶景でした#59140;


美しい…#59116;


遥かに岩国基地や、遠くの島々が見えます。
右中央には、錦帯橋と鉄の橋が並行して見えますね。(やっぱり鉄の橋の方が近いのよ…#59136;#59136;#59136;)


天守の中は、展示になっていることが多いのですが、岩国城天守は、やたらと刀(など武器)が多かったです。
あと、日本中の様々なお城の写真が展示されていたのですが、ほぼ8割くらいは、私が訪れたお城でした#59140;百名城だけでなく、続百名城もあって、私、まだそちらは6城くらいしか制覇していないのですが、そのうち5城は入っていたし、たぶん、岩国城の展示担当者の方と、私は気が合うのではないかと思います(笑)


さて、この復元天守、そもそも天守のあった場所よりは30メートルくらいせり出しているそうで、その理由は、「下からの景観」だとか。冒頭の写真を見て、納得#59140;



というわけで、かつての天守台は、そのままの形で復元されている。穴太衆(あのうしゅう)による見事な野面積の天守台、かっこいいです。


こちらは、「大釣井」と呼ばれる井戸の跡で、築城の時に造られたものだそうです。
井戸としての役割だけでなく、武器庫、脱出路としての役割も担っていたとか。
ということは、今同様、当時も、空井戸であった可能性もあるわけね。


などと納得しつつ、下山してきました。


ここが、帰りのバスを待つ場所なのですが、「道の駅」ならぬ「橋の駅」なんですね#59116;


記念すべき五十城目も楽しい旅でしたが…できれば、リベンジしたい#59140;城には関係ないけど、錦帯橋を渡りたいっ#59133;