というわけで、愛媛県3つ目の城、大洲城に行くため、市電でJR松山駅に向かった。イヨテツの町・松山では、イヨテツの松山市駅を中心に繁華街が形成されているため、JRの松山駅周辺は、それほど賑わっていない。


駅前に、松山出身の俳人、正岡子規の句碑があった。
松山市出身の俳人といえば、河東碧梧桐、高浜虚子もいるが、二人は子規の弟子なので、わかりやすく子規の句。


春や昔 十五万石の 城下かな


明治27年、子規が従軍記者として日清戦争に参加する前、帰郷して詠んだ句とのこと。
周囲の反対を押し切って従軍した子規は、その結果、体調を悪化させてしまうのです#59123;


JR予讃線宇和島行きに乗り、伊予大洲駅へ。
終点の宇和島にも、百名城があるのですが、今回はそちらには行かず、フェリーで九州に渡ることになっている。


伊予大洲駅に降りると…駅前には、なにもない。
13時を回っていて、なにか食べたいと思っていたのに、あえなく撃沈。観光マップを見ると、まちの駅というのがあるようなので、まず、そこを目指して歩き始める。
暑い…暑すぎる…まだ、GWなのに。


20分くらい歩いたところで、川を渡ろうとしたら、向こうに、こんな景色が#59138;


このまま右折すれば大洲城(ちなみに「おおずじょう」と読むそうです#59140;)とわかったものの、朝から何も食べていなかったので、遠回り覚悟でまちの駅に向かった。


まちの駅に、14時近くなっても開いている飲食店を発見し、飛び込んだ。


名物の鯛めしをいただきました#59116;
松山城から戻る途中、鯛めし屋で、開店を待つ人々を見かけて、そんなに待てない#59134;と、そのまま列車に乗ったのだが、おかげで歩きながらひもじかった…#59124;


鯛めしは、お皿の上の鯛と薬味をご飯にのせて、卵をかけていただくものだそうで、お店の方に食べ方を教えていただきました#59126;
愛媛県名物をここで食べられてよかった#59130;


さあ、お腹を満たしたところで、あらためて、大洲城へ。


ここ大洲城は、鎌倉時代末期、伊予守護の宇都宮氏の居城が原点だと言われている。その後、秀吉によって四国が平定され、小早川隆景が伊予35万石を与えられた際、湯築城を居城とし、当時大津城と呼ばれた大洲城は枝城となった。
その後、築城の名手・藤堂高虎が宇和郡板島7万石の城主となった際、大津城を居城とした。
高虎の次に城主になったのは、賤ヶ岳の4本槍・脇坂安治。
四国で次々七本槍メンバーの名前を聞くのは、嬉しかった。


天守自体は再建。明治になってから、天守が取り壊された。
現在の天守は、2004年に木造で再建されたもの。


こちらは、大洲城の復元模型。
天守こそ再建であるものの、櫓は1800年代のものが残っている。



平日だと、この辺りから、フェリーの出る八幡浜までバスが通っているらしいが、休日ダイヤはなく、おとなしく、伊予大洲駅まで戻り、また予讃線に乗って、八幡浜駅まで向かった。
そして、これ以上歩く気力がなかったので、駅前からタクシーに乗り、フェリー乗り場へ。


乗る前に写真を撮ったので、船の名前しか写っていない…#59142;
でかい船でした。
フェリーの中では、だらだら横になって疲れを癒しつつ、写真の整理をしたりしていたら、あっという間に別府に到着した感じ。一人旅でフェリーとか、ちょっとドキドキだったが終わってみれば面白い経験だった。


もう20時を回っていたので、タクシーで宿泊ホテルまで行き、チェックインしてから、近くのファミレスで遅い夕飯。
悩んだあげく、ハンバーグとビールに。(お腹がいっぱいで眠れないと困るので、ライスやパンは頼まず…)


ホテルは温泉ホテルだったので、戻ってから、ゆっくりと温泉に。
こどもの日だったので、菖蒲湯でした#59116;