ミュージカルを楽しんだ帰りは、道後温泉近くまで戻り、湯築(ゆづき)城に。
すぐ近くに道後温泉がある平場に、そこだけ小高い丘。
のんびりとした風景がステキな場所だった。
こちらは再現された家臣団の武家屋敷。室内も再現されていて、当時をしのぶことができる。
5月というのに、この日はすごく暑い日だったので、あずまやで涼んでいる方も多かった。
発掘の結果、その様々な時期の地層が発見されたので、展示されている。
手前側はせき止められて、藻でドロドロになっているが、内堀。まるで、山水画のような景色が広がっている。
此の丘陵部の反対側にある土塁に沿って、一番端まで行くと、行き止まりになったので、また、元に戻る。
さて、今度は、高いところに登る番だ。(半分びびりつつ…)
整備された山道を登っていくと、いくつかの壇がある。
ここは、「杉の壇」と呼ばれている。
そもそも中世の城なので、用途などは、わかっていないらしい。
ご存じの通り、松山市内には、有名な松山城がある。
七本槍の一人、加藤義明が築いたこの城を中心に、江戸時代の松山市は栄えていく。
廃城になった湯築城は誰にも顧みられることがなかったはずだが、往時の姿が復元され、こうして百名城にも選ばれ、今日を迎えている。
関係者の努力の賜物だな…と思う。
ここは、有名な「道後温泉 本館」。宿泊施設ではなく、入浴と休憩しかできない。GWで数時間待ち状態な上に、一人旅だったので、ちょっとびびって周辺写真を撮っただけで退散した。
これは一時間に一本、松山市内を走ってもいる(市電ルートの一部を)のだが、今回は乗れなかった。また、リベンジしたいな~と思っている。
額田王が「熟田津に船乗りせむと月待てば汐もかなひぬ今は漕ぎ出でな」と詠んだあの熟田津に向かってまっすぐ伸びていく道が、これ。
斉明天皇が、滅亡した百済に援軍を出すため、九州まで行く途中、道後温泉に立ち寄り、そこから船に乗った。その時、額田王が力強いこの歌を詠んたと言われている。
野性の勘が働いて入ったお店がここ。
カレーの専門店だったが、カレーオムというのを注文し、めっちゃ美味しかった#59116;
その後、ホテルに戻り、夜バス移動だった前日の疲れを癒すため、この日は早めに休んだ。