3年ぶりに2月の名古屋遠征。そのついでに、長篠城に行ってきました。
長篠城の攻防は、その前哨戦となる。
武田勝頼率いる1万5千の大軍が、500人の守備隊しか擁していない長篠城を取り囲んだ。籠城数日、城内にいた鳥居強右衛門(すねえもん)という武士が、決死の覚悟で城を脱出、岡崎城の家康に援軍を要請した。
その時には、既に織田・徳川連合軍が出陣の準備をしており、3万を超える織田軍が出陣するとあって、安心した鳥居は、朗報を伝えようと、再び長篠城に取って返すが、武田軍に捕らえられてしまう。
援軍は来ないから、籠城をやめて降伏するように、城内に向かって叫ぶように言われた強右衛門だったが、援軍が来るから持ちこたえるように叫んで、処刑される。(磔の刑)
こちらのロッカーに描かれているのが、その、鳥居強右衛門。各所の剛毛がすごい…でも胸毛はないんだなぁ…#59120;
ちなみに、決戦の場、設楽原にも資料館があって、少しお得なセット券も販売されている。
車で訪れた旅行者は、セット券を購入されていたみたい。
ご両親と、設楽原決戦場視察の後、長篠城址を訪れたとのこと。
後ろに咲き始めの梅の木がありますね。
さて、強右衛門磔後の話。
織田軍3万、徳川軍8千の大軍は、設楽原に陣を作った。これだけの大軍を配置するには、ある程度広い場所が必要だったのでしょうね。
その後、鳶ヶ巣山攻防戦で、酒井忠次らの別動隊が奇襲に成功。背後から武田軍を攻め、長篠城の救援に成功する。
鳶ヶ巣山奇襲の翌朝、設楽原の戦いが始まる。
8時間に及ぶ戦いの後、1万5千の武田軍には、1万人の犠牲者が出ていたらしい。主力の武将もほとんど討ち死に。
武田勝頼は、この後、高遠城にまで後退、まだまだこの後、滅亡までは紆余曲折あるものの、信玄没してわずか2年後のこの大敗は…歴史って、本当に残酷だな…と思います。
全体的にコンパクトな長篠城でしたが、本丸は、かなり広く、籠城戦を戦い抜けたことも、納得です。
ここ長篠城址は、JR飯田線長篠城駅が最寄り駅。名古屋からは、東海道線豊橋駅で乗り換えるのが一番簡単かな。
ちなみに飯田線は、時間帯によってはワンマン運転で、しかも、途中駅からは、ICカードが利用できません。(いやー、途中から嫌な予感がしたんだけど…)
単線どころか、長篠城駅は、駅でも複線化されてなくて、この列車が行って戻ってくるってことね…と覚悟を決め、帰りの時間を何度も確認し、城に向かいました。
突然、滝の音がして、覗いてみたら…。
自然の浸食により、少しずつ後退してできた滝だそうです。
忠臣として名を残し、子孫は、城主奥平家の家臣として厚遇されたそうです。
かつ丼をいただきました。
名古屋遠征で、名古屋メシじゃないものを食べるのは珍しいのですが。食べ終わって駅に戻って、5分くらい待って帰りの電車に乗れたので、かなりよきタイミングのランチでした。
樹齢500年近くってことですかね。
そんなに保つとも思えないのですが、一応、そんな伝来があるらしいです。駅の前にありました。
というわけで、久々に刀剣乱舞お供画像もつけてみました。