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ミュージカル「SAMURAI7」観劇 [┣矢崎広]

MUSICAL
「SAMURAI7」

原作:黒澤明 監督作品「七人の侍」より
演出・振付:上島雪夫
音楽:佐藤俊彦

脚本:入江おろば
美術:松井るみ
照明:小笠原純
音響:小幡亨
衣裳:小原敏博
ヘアメイク:糸川智文
映像:田畑哲稔
歌唱指導:泉忠道
殺陣指導:市瀬秀和
音楽助手:倖山リオ
演出助手:藤原理恵
舞台監督:井上卓

テレビアニメ「SAMURAI7」のことは、実は全然知らなかった。
「SAMURAI7って…七人の侍?」くらいの気持ちで劇場に来てしまい、アウェー感漂う中での観劇となった。
休憩時間に、周辺の席から「カツシロウ、いいよね!」「うん、歌うまかったー」とか、「キュウゾウ、顔ちっちゃーい」とか聞こえてくる。イケメン舞台俳優のファンとは、一線を画する客層が微笑ましい。
「キュウゾウは、この後、ルドルフやるんだよ!」と言っても、「ルドルフ誰や?」ってなりそうなアウェー感、おわかりいただけるでしょうか?

黒澤明監督の名作「七人の侍」は、豊臣秀吉の治世、まだ刀狩がされていない時代の物語である。
一方、テレビアニメの「SAMURAI7」は、遠い未来の物語。ちなみにこちらは、サイボーグとかロボットが登場する。
そして、舞台版は、普通に見ると、「七人の侍」の世界観で問題なく観劇できる舞台だった。野武士(テレビアニメでは“野伏せ”で、本人は戦のためにサイボーグ化され、モビルスーツのようなものを操っているらしい)の襲撃は、“十騎”と数を表現しているが、騎馬の数だと思って観ていたし、野武士もサイボーグ軍団には見えなかった。キクチヨの片手も“義手”と言われていたが、サイボーグ化しているという雰囲気ではなかったし。

テレビアニメそのものが、原作リスペクトで作られていることから、登場人物も七人の侍の名前を始め、かなり原作に忠実に作られている。実際には、勘兵衛⇒カンベエのように片仮名表記だったりするのだが、耳で聞く分には、漢字だと思えるし、オリジナルキャラも、ウキョウ、ヒョウゴなど、当時らしい名前が使われている。気になるのは、キララくらいだが、美少女キャラというものは時空を超えて存在するものなので、それほど気にしなかった。
また、原作の有名な台詞やエピソードは、ことごとく拾われており、この辺もスタッフ陣の原作への愛を感じずにはいられない。唯一、カツシロウのラブロマンスがカットされていたのは、原作通りだと、現代では“やり逃げ”にしか見えないから…かなぁ[あせあせ(飛び散る汗)]まして、相手役、巫女だし…(ここはオリジナル部分)

豊臣の治世になると、仕事がなくなった侍たちが治安を乱すようになる。
彼らは、徒党を組んで農民に圧力をかけて米を奪ったり、町で押し込み強盗になったりして、人々に迷惑をかけている。
農民は、野武士と呼ばれる一団の襲撃をひたすらやり過ごしていたが、とうとうカンナ村の農民、リキチ(杉崎真宏)が立ち上がり、野武士に抵抗しようと言い出す。
野武士に戦いを挑んだ村は、焼き払われ、農民は皆殺しになっていた。自分たちだけで戦うことには無理がある。そこで、長老のギサクは、自分たちを守ってくれる侍をスカウトし、村を守ることを決める。
長老の言葉に、リキチと巫女のキララ(入来茉里)が町に行き、巫女の持つ水晶の導きによって、村を助けてくれる侍を探す旅が始まる。
二人は最初に、親切な武家の若者、カツシロウ(矢崎広)に出会うが、協力を申し出るカツシロウをキララは丁重に断る。そして、押し込み強盗から赤ん坊を守った浪人、カンベエ(別所哲也)に白羽の矢を立てる。そして、その現場に、甲冑に身を包んだ大男、キクチヨ(大澄賢也)がいた。
紆余曲折あり、カンベエが率い、カツシロウやキクチヨを含む七人の侍がカンナ村にやって来る。そして村人と共にバリケードを作り、野武士との戦いを始める。野武士たちの上には、謎の商人、ウキョウ(根本正勝)がいて、カンベエたちは、村を守りつつ、ウキョウの本陣を攻める。そして、とうとうウキョウを倒した時、七人の侍は、半数も残ってはいなかった…

カンベエの最後の台詞は、黒澤映画とまったく同じもので、ここもオリジナルへの強いリスペクトを感じる終わり方だった。
カーテンコールを見ていると、座長は別所だが、実質、別所矢崎のW主演なのかなーと感じた。
カンベエ率いる「七人の侍」と農民がカンナ村を守れるか、という物語であるとともに、武士になりたいという、剣もふるったことのないカツシロウが、人を斬り、その命を背負い、それでも武士としての生きる道を探すまでの成長物語でもあるのかな、と思った。

戦闘シーンの迫力が素晴らしく、最後まで飽きさせない演出だったと思う。
ウキョウの設定というか、目的が、いまいち心に響かなかったのが、ちょっと残念だったかな。

別所は、無頼漢っぽくもあり、神経質にも感じられるカンベエを豪快に演じていた。矢崎は、昨年の「ジャンヌ・ダルク」では、豪放磊落な戦士をカッコよく演じていたが、今回はうぶなカツシロウがよく似合った。二人のバランスもとてもよかった。
映画では三船敏郎が演じたキクチヨ役の大澄は、主役ではないが、場をさらうスターだった。一番、心に残るキャラだったかもしれない。

キュウゾウを演じた古川雄大の2.5次元的等身バランスに、目が点。素敵でした[黒ハート]


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「ジャンヌ・ダルク」観劇 [┣矢崎広]

「ジャンヌ・ダルク」

演出:白井 晃
脚本:中島かずき
音楽:三宅 純
原案・監修:佐藤賢一

ジャンヌ・ダルク……有村架純
マリー・ダンジュー……佐藤藍子
傭兵ケヴィン……尾上寛之
ベッドフォード公……山口馬木也
アランソン公……矢崎 広
クルパン……青木 健
サントライユ……吉田メタル
傭兵レイモン……堀部圭亮

タルボット……上杉祥三
ラ・イール……春海四方

ヨランド・ダラゴン……高橋ひとみ
コーション司教……田山涼成

ラ・トレムイユ卿……西岡德馬

シャルル7世……東山紀之

渋谷樹生 / 進藤ひろし 前田 悟 松上順也 神原弘之 神田敦士 湯田昌次 横山恒平
内海一弥 嶋村昇次 安田昌弘 林 愛子 稲葉まどか 今國雅彦 稲葉俊一 松浦慎一郎

ジャンヌ・ダルクの名を知らない人は、まずいないだろう。神の声を聞いて、フランスを勝利に導いた14歳の少女。しかし、その後、捕えられ、異端者として火刑に処せられ、19歳で死んだ…
とはいえ…神の声を聞いた、という時点で、歴史の教科書的に「マジか[exclamation&question]」という感想が出るのもまた、当然ではある。
10年以上前、宝塚でも「傭兵ピエール―ジャンヌ・ダルクの恋人」という作品が上演され、物議をかもした。実は、今回の原案は、その作品の原作者である佐藤賢一氏。

知ってたら、たぶん、観劇しなかったと思う。

それくらい、あの作品は、私の中でトラウマなのだが…。

今回の舞台は、なかなか面白かった。

まず、100人は超えるだろうと思われる出演者に圧倒された。これは、どんな仕掛けになっているのだろうか。無言の兵士がほとんどなので、エキストラを募集したのか。「奈落と行き来する階段」というセットを使い、この兵士たちが舞台に上がっては、奈落に下りる…という演出を繰り返すことで、何万の兵士が容易に想像できる。
この演出には度胆を抜かされた。映画ではごく当たり前の演出だが、1ヶ月近い日々、毎日1-2回、鎧を着て何度も階段を上り下りするなんてことをさせる演出があり得るのか[exclamation]と。
この人海戦術によって、3時間超の舞台に惹きつけられた部分は大きかった。

次に、映画なら「特別出演」枠になるだろう東山紀之の新境地。
冒頭、あまりに滑舌が悪く、やる気が感じられない芝居に、どうしちゃったんだろう[exclamation&question]と本気で心配したのだが、それは、演技だった。
それこそ、まさに、その時点でのシャルル7世の姿だったのだ。ジャンヌ・ダルクを利用して、見捨てて、その死を聞かされた後味の悪い君主…その資格があるかどうかさえわからない男…これまで、こんな東山を観たことがなかったので戸惑ったが、ラストはちゃんと感動へ持っていった。
シャルル7世という人について調べてみると、色々複雑な背景をいっぱい抱えた人のようで、気弱な王様だったんだろうなーと、納得[ひらめき]

「傭兵ピエール」では、ジャンヌがイングランドに捕えられた後、イングランド兵士たちに蹂躙されたという展開になっていたが、今回は、ギリギリのところで助かり、純潔のまま処刑される。不器用で、頑固で、鈍感なくらいに無垢なジャンヌを、主演の有村は、逃げずにひたすらまっすぐ演じていて好感が持てた。
でも、まあ、有村主演と言いながら、この芝居を引っ張ったのは、周囲の芸達者な面々だったのは間違いない。
特に高橋ひとみ佐藤藍子のイケズな感じは、見事だった。

【今日の言葉】~宝塚日めくりカレンダーより~
「君は日本で第一番の女優じゃないか。勲章だって貰ったじゃないか」by川上音二郎@『夜明けの序曲』
作・演出:植田紳爾、酒井澄夫
花組 1982年

掲載されている写真は、松あきらさん、若葉ひろみさんでした。


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「サ・ビ・タ」観劇 [┣矢崎広]

東宝ミュージカル
「サ・ビ・タ~雨が運んだ愛~」

音楽:チェ・ギッソプ
歌詞:チェ・ミョンソプ
脚本:オ・ウンヒ

日本語版台本・訳詞・演出:中島淳彦

音楽監督:長谷川雅大
歌唱指導:ちあきしん
美術:加藤ちか
照明:倉本泰史
音響:山本浩一
衣裳:牧野iwao純子
ヘアメイク:宮内宏明(M's factory)
振付:田井中智子

「サ・ビ・タ」は、韓国のオリジナル・ミュージカルで、初演は1995年。2008年から日本でも上演を開始、今回が4度目の上演とか。
前回公演より、円形劇場を使用するようになったそうだが、このミュージカルは円形劇場が似合うと思った。
世話焼きで二人の妹から鬱陶しがられ、一人で誕生日を過ごすことになった兄のもとに、7年ぶりに一番下の弟が帰ってきた。彼の泥だらけのカバンの中には、ナイフとたくさんの現金が…!疑心暗鬼にかられる兄と、心を開かない弟のところへ、家を間違えたイベントガールが飛び込んでくる。
基本的に『新婚初夜を迎えるカップルへの賑やかし』ビジネスらしいのだが、韓国では、新婚初夜=自宅が基本なのだろうか?まあ、最近は、日本でも、新婚旅行の多様化に伴い、結婚式、即新婚旅行ではないカップルも多いそうだが。
この闖入者の登場をきっかけに、兄と弟が、思いをぶつけあい、心を通わせるまでを2時間の観客参加型ミュージカルにしている。
年間100日位は観劇に費やしている私としては、基本が一人観劇。友人と一緒だと、観劇してそのまま帰るというスタンスではいかないので、余計なお金がかかるし、スケジュールの調整も必要だし…。
でも、この手のミュージカルは、一人で行くと味気ない。
できれば、愛する人と、そんな相手が今いない人は、大切なお友達と一緒に観てほしいな~と思った。
私も次回の再演の時は、友達を誘ってみようと思っている。

さて、このミュージカルは、先ほど記載した三人だけのミュージカルだが、実は、とても重要なキャラクターがあと三人登場する。
彼らは観葉植物の精という位置づけで、黒子ならぬ迷彩緑子といったいでたちなのだが、黒子的作業だけでなく、歌ったり踊ったり、なんでもできる素晴らしいアンサンブル[ぴかぴか(新しい)]だった。最後に彼らが顔前のスダレを外し、名前を紹介(鎌倉哲也・塚越眞夏・武市悠資)されているのを観て、すごく嬉しくなった。それだけの働きをしてるよね[exclamation×2]と。

主人公のチョン・ドンウク(駒田一)は、世話好きな40歳独身男。男子中学校の音楽の教師をしている。三歳下の妹ヨンヒは主婦で三人目の子を妊娠中、6歳下のチョンヒは結婚もしているがバリバリのキャリアウーマン、そして、11歳下のドンヒョン(矢崎広)は、7年前に家を出たきり、戻ってこない。
ドンウクは、忙しい妹たちのために、いいように使われている。料理だったり、洗濯だったり。そして都合よく使われたあげく、家に来る約束はドタキャンされるような扱いを受けている。
そんなドンウクにも、浮いた話がなかったわけではない。かつては、結婚を意識していた女性がいた。ドンヒョンが出ていく前は。
しかし、彼は自らの家庭を持つことより、弟妹の面倒をみることを優先したのだった。そのことで、弟妹たちが負い目を感じたことが、現在の彼の孤独な状況を作り上げているようだ。その上、ドンウクは、音楽教師として致命的な病を抱えてしまった。
彼は、自らの犠牲的精神があって家族の幸せがある、という夢を見続け、だから自分の人生は無駄ではない、と思い込むしかなくなっている。勝手に夢を見られた側が、それをどう負担に思おうとも。
ドンヒョンは、音楽の才能があったらしい。それで、ドンウクは、自分は音楽教師だけれど、弟にはピアニストか作曲家になってほしいという夢をみていた。その夢が負担だったのか、ドンヒョンは、家を出て、軍隊に入り、除隊後は、船乗りになって世界を転々とした。たぶん、ドンヒョンが家に帰る気になったのは、彼が怪我をして、「もう絶対にピアニストになれない!」という客観的な証拠を得たからだろう。
もうプロになることはできない弟と、もしかしたらこの先ピアノが弾けなくなるかもしれない兄の、だからこそのちょっと拙くても大丈夫な連弾きゅんとした[揺れるハート]が、ジャズピアノなのが辛かった。運指のテクニック的な問題ではなく、リズム感的にジャズじゃない。クラシックにしとけー[ふらふら]と思った。
もしかしたら、韓国版では、ジャズピアノもがっつり弾ける人を主演にして企画されたミュージカルだったのかも[exclamation&question]

主演の駒田一以外はWキャストで、チームHとチームYに分かれている。私は、チームYしか観劇していないので、チームYのキャスト感想を。
駒田矢崎は、声質と声の太さがよく似ている。だから、二人が兄弟役というのは、すごく納得できるし、二人のデュエットは、非常に聴いていて気持ちいい。また、矢崎の尖った演技が、作品に緊迫感を与えていて、楽しい場面と、イタい場面のメリハリが見事だった。
一方、イベントガール役の八坂沙織は、歌が残念。アイドルシンガーを卒業して、舞台女優としての第一歩をこの作品で踏み出したようだが、既存のミュージカルは、自分の音域を超える楽曲が用意されている場合もあるから、難しかったのかも。ハーモニーが綺麗に決まらない曲もあったし、しょっぱなの[るんるん]「結婚、おめでとう」のナンバーと、次の[るんるん]「失敗ばかり」のソロは、かなり痛々しかった。眼鏡を外した顔は可愛いので、今後の精進を期待したい。
駒田安定感は抜群。さすが、4度目の「サ・ビ・タ」です[exclamation]

【今日の言葉】
「僕の歌は、僕の心と一緒に彼女に捧げてしまったんだ」byピエール@『ドリーム・ア・ドリーム―夢に歌うピエール―』
作・演出:鴨川清作
花組 1970年

掲載されている写真は、麻鳥千穂さん、竹生沙由里さんでした。


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「贋作・好色一代男」 [┣矢崎広]

少年社中15周年記念第三弾・第28回公演
「贋作・好色一代男」

原案:井原西鶴
脚本・演出:毛利亘宏

照明:斎藤真一郎(A.P.S.)
音楽:依田謙一
衣装:村瀬夏夜
舞台美術:秋山光洋
舞台監督:杣谷昌洋
音響:井上直裕(atSound)
演出助手:伊達紀行
舞台監督助手:弘光哲也
振付:森川次朗

劇団少年社中の結成15周年記念公演。主演は、私が最近注目している矢崎広。原作はもちろん、井原西鶴。
主人公の世之介は、7歳で女を知ってから、60歳で消息を絶つまでの間に、3千人を超える女、700人を超える少年と関係し、親からの金だけを元手にその一生をすべて“色”に費やした、という、まあ言ってみれば大馬鹿野郎だが、たぶんそれは、この地上に住む大半の「男の夢」かもしれない。
少年社中の舞台を観るのは初めてだったが、毛利亘宏の脚本の芝居を観るのは二度目。
その二回を通して思ったのは、笑う場面はしっかりありつつも、すべての人の人生に“意味”を見出してあげたい、すべての人間を“善意”でとらえてあげたい…というような優しさを感じる脚本だなーということ。現実社会は、もっと厳しいし、無意味なヤツ、悪いヤツもいっぱいいるような気がするが、演劇の世界だけでも、そこは夢を見ようよ!というのは、私も賛成。あと、にどんないい人にも、“人に言えない心の闇”があって、それを吐き出させたいっていう部分もあるかな。でも結局、最後はポジティブになるので、いい感じで劇場を出られる
なので、世之介さんも、“幸せをふりまく男”になっていた。誰からも愛される男に。

女護が島(女だけが住む島)に向かう途中嵐にあった世之介は、60歳だったはずなのに、気がつくと顔から皺が消え、今までに出会った懐かしい人々に再会していた。その中に、ひとりだけ知らない男がいた。彼は世之介に刀を向け、彼のこれまでの人生を聞きたいと言う。
こうして世之介が語り出した人生は、空前絶後の物語だった。
父は、けっこう裕福な商人。彼は京で生まれ育った。
7歳の時に、“母の双子の妹”と初体験を済ませ、そこから色の道にまっしぐら。
そのまっしぐら具合が現代と違っている部分も多く、いろいろと勉強になった。
まず、男色が特殊な趣味でも性的志向でもないこと。これって日本固有の文化ではないだろうか?
そして、自由恋愛と女郎遊びが並列で語られること。
遊郭ってものに、特殊なイメージがあった。市井の未婚の女性の身持ちが硬いから遊郭が必要だとか、もてない男が行く場所だとか、身請けなんて特別にラッキーなできごとだとか。
なんか、もう普通に恋愛の場です、遊郭。合コンお持ち帰りのノリです、身請け。
世之介は、街中で女を口説き、土地の遊郭は必ず訪れ、ついでに怪しげな男娼も買う。
興味が湧けば、親友の恋人も口説く。
ただ、決して、自分の意思を押し通そうとはしない。脈がない感じで振られたら深追いはしない。そして、彼の金離れの良さは、色ごとが成就したかどうかには、関わらない。そこが太っ腹で、誰からも愛される所以だろう。
(親の金だから=金の苦労をしてないから、とも言えるが)
さて、3000人を超える女と関係しながら、世之介には子供がいなかった。
なんとなーく理由は想像できるが。
芝居の中盤で、世之介は自分がもう死んでいること、彼に刀を突きつけて彼の人生を聞きたがった男こそが、彼の唯一の息子で、しかもこの世に生まれずに終わったことが分かる。そして、世之介が極楽に行くか、地獄に行くかは、この男が決めることになっているのだった。
世之介の人生を聞き、彼が極楽に行くべきだと思えば酒を差し出し、地獄に行くべきだと思えば斬る。そして世之介が地獄に行けば、彼はこの世に生まれることができるらしい。
言われるままに、その後の人生を語り出した世之介だったが、「よかれと思ったこと」が悪く働いて、助けようと思った人たちが死んだり、不幸になったりしていることが、だんだん分かってくる。
しかも、初体験の相手と信じていた“母の双子の妹”が実在しないことも明らかになる。母の一人二役…[がく~(落胆した顔)]
落ち込む世之介。みんな不幸になって、よけいなお世話で、しかも実はマザーファッカーって…[爆弾][爆弾][爆弾]
しかし、先に死んでいった人々は、彼に言葉をかける。
ありがとう、会えてよかった、と。
刀を構えた男は、世之介に酒を差し出す。極楽へ行けという合図だ。
しかし、世之介は、感謝しつつこれを断る。そして、俺を斬れと言う。
生まれてこい!彼は息子に、力強く言う。
この世への全肯定。
そして、祭り→大団円となって芝居は終わった。

井原西鶴が書いた物語が、どこまで忠実に描かれているのかわからない。“贋作”と書かれている以上、かなりアレンジしているのかもしれない。
でも、人生への限りない讃歌になっていて、私はすごく好きな作品だと思った。

奇しくも、私が観劇した日は、劇団少年社中の結成16周年の記念日だったそうだ。
いつまでも少年の心を持ち続け、生きるエネルギーに満ちた芝居を作ってください。
おめでとうございます[黒ハート]

【今日の言葉】
「マルセイユの港から、海は世界中に広がっているんだ」byジェラール@『アデュー・マルセイユ』
作・演出:小池修一郎
花組 2007年

掲載されている写真は、春野寿美礼さん、桜乃彩音さん。

『アデュー・マルセイユ』『ラブ・シンフォニー』 [DVD]

『アデュー・マルセイユ』『ラブ・シンフォニー』 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 宝塚クリエイティブアーツ
  • 発売日: 2007/12/20
  • メディア: DVD

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「MACBETH」観劇 [┣矢崎広]

「MACBETH」
原作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:河合祥一郎

脚本:斎藤栄作
演出:板垣恭一

ドラマターグ:河合祥一郎
美術:野村真紀
衣裳:森永幸徳
音楽:日野悠平(えりオフィス)
照明:三澤裕史
音響効果:天野高志
殺陣:梶武志
ヘアメイク:山崎潤子
舞台監督:岩戸堅一

ひょんなきっかけから、矢崎広主演の「MACBETH」を観劇することになった。

矢崎広という俳優を知っている演劇ファンもそれほど多くないとは思うが、ミュージカルもこなす、若手の実力派俳優だ。

その彼が、25歳という年齢で初めて舞台主演する。それが、「ロミオとジュリエット」や「ハムレット」ではなく「マクベス」だというところに惹かれ、観劇することにした。

ラフォーレミュージアム原宿という、イベントスペースを使用して、舞台を観客が取り囲むスタイルでの上演。主催の“る・ひまわり”的には、青山円形劇場を使ったりもするので、わりと普通のスタイルかな?
イベントステージのど真ん中に、舞台を設え、その真上から照明を吊っているので、ステージと照明の近さがハンパない。役者は大変だろうな、と思った。

ただ、もう、その役者が素晴らしかった。
舞台を中央に置くと、大道具なんてものは置けないというか、出したら引っ込めることができないので、基本、舞台上にセットは置かない。(そんな関係でか、マクダフ城攻撃の一部始終はカットになった。)
それを補って余りある、役者陣の演技。
スピーディーな展開は、ASCのそれに近い。ただASCは、すべてをシェイクスピアの脚本通りに上演するが、商業演劇としてその辺は、現実の脚本家がばっさり現代の演劇とマッチングするように加工しているので、さらに観やすいシェイクスピア劇になっている。

主演の矢崎の熱演がすごい。
シェイクスピアの長台詞を滔々と語る実力もさることながら、心の動きがダイレクトに伝わる熱い若さも魅力。
マクベス夫人を演じた馬渕英俚可も、夫をそそのかすだけのキツイ女性ではなく、「王になること」が夫の本当の望みだと信じるがゆえに、無理矢理自分自身をも鼓舞して、破滅への道を進んで行く、という非常に愛情に満ちた美しい夫人だった。
そして、マクダフを演じた松村雄基が、作品をきっちりと締めてくれていた。彼が日頃出演している舞台だと、ともすれば“若手”括りになりかねない松村が、この舞台では、いぶし銀的魅力を振りまいていた。しかも年齢がほぼ半分の矢崎を相手に、長い一騎打ちの場面を演じ切る。
すごい迫力だった。
個人的には、今回急遽マルカム王子を演じることになった宮下雄也が、迫力あるよい声で素敵だなーと思った。マルカムは、マクダフと手を組む前に、彼を試す長台詞があるのだが、そこの嘘八百並べ立てるところが、すごい迫力
小林且弥のひょうひょうとした各役もよかったし、(客席いじりも素晴らしい!)女役に違和感のない20歳、長倉正明も今後期待できそう。

満足度の高い舞台だった。

たまたま観劇が一緒になった友人は、今回の設定(25歳のマクベス)にすごく納得していたようだったが、私は、どうかなーと思っている。
“やがて王になるひと”と言われた時、今、王を殺さなければ…という発想が生まれるのは、今の王と同年輩か、むしろ自分が年上だからではないか、と思うからだ。息子のような年齢であれば、王を殺す前に、王子を排除し、自分に王位が来るように色々と策を練る方が自然なのでは?と。
その辺のリアリティーが出てくると、さらに面白くなるかもしれない。一考のほど、お願いしたい。


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ミュージカル「薄桜鬼」観劇 [┣矢崎広]

早乙女太一主演の舞台「薄桜鬼」感想はこちらです。

実は、今回の「薄桜鬼」、前回と同じスタッフがキャストを変えて、主役を変えて制作したものだと、観劇の5分前まで思っていた。前説を聞いて、ミュージカルなんだ!と驚いた。
かなりダメダメな感じの観劇でございました。

ミュージカル「薄桜鬼」

脚本・演出・作詞:毛利亘宏
音楽:佐藤俊彦

舞台監督:横尾友広
舞台監督助手:八木橋貴之、大槻めぐみ
舞台美術:松本わかこ
大道具:ステージ・ファクトリー
照明:斎藤真一郎
照明操作:小原ももこ、菅沼玲、佐藤美帆、吉森賢治
音響:岡安智章
音響操作:小川こずえ、潮麻由子
アクションサンプラ:川口莉奈
演出助手:田中精
衣装:清水喜代美、八重樫伸登
衣装協力:五十嵐美幸
ヘアメイク:古橋香奈子
ヘアメイクアシスタント:福岡亜樹、川口みさき、小泉七穂
歌唱指導:石橋優子
振付:J(KoRock)
殺陣指導:Team AZURA

基本的なストーリーは、早乙女太一版と同じ。
ただ主人公が、土方歳三⇒斎藤一に変わったことと、近藤勇と山南敬助が登場しないこと。
まあ、近藤さんは、セリフにたびたび登場するし、いないことの違和感はそんなにない。むしろ舞台版では、土方一人に指揮命令系統が集中している方が、スピーディーな舞台が作れる、というのはあるかもしれない。
芹沢暗殺後、山南切腹までの新撰組は、近藤局長、土方副長、山南総長と、よくわからない上下関係。それぞれに報告や相談もあっただろうし、でも、そういう場面は、芝居の間を生みはするけど、スピーディーな展開は奪ってしまう。今回は、“芝居の間”に関しては、笑いで取るという設定だったため、こういう大胆な選択になったのかもしれない。
でも、隊士を強くする薬『変若水(おちみず)』を導入するキッカケになった山南がいなかったので、なんであんな薬使っちゃったのかなーというところは、ちょっと腑に落ちなかったかな。

ビジュアル的に、ゲームとかアニメに登場するような人がちゃんと3Dで実在しているんだなーと、そんな感想を持った。
斎藤一役の松田凌くんは、まだ20歳なのかー。歌がちょっとアレだったが、芝居はよかった。
相手役の吉田仁美さんは、よーく見ると年上感満載なのだが、声がアニメ声で可愛いし、なにしろ歌が上手いので、よい配役だったかもしれない。

殺陣もすごかったが、これは、早乙女版の方に軍配が上がるかな。舞台機構の違いもあるかもしれないが、殺陣をしながら歌に入ると、どうしてもその人のパートの間は、殺陣が止まってしまう。(まさか歌の途中で舞台から消えるわけにもいかないので。)そのわりに殺陣の間の曲が長く、しかも心情をたっぷりと歌っているので、途中で切るわけにもいかず…というジレンマ。
ミュージカルという意味で成功していたか?というと、ちょっと自信がない。

出演者はそれぞれ個性的で、チームワークもよかった。
でもねー、「勝負あった、引き分けだ」っていうセリフはどうなのかしらね、土方さん。

斎藤一:松田 凌、沖田総司:廣瀬大介、雪村千鶴:吉田仁美
藤堂平助:池田純矢、原田左之助:小野健斗、永倉新八:宮崎秋人
山崎烝:天野博一、井上源三郎:森 大
不知火匡:柏木佑介、雪村綱道:江戸川卍丸、天霧九寿:清水順二(30-DELUX)
風間千景:鈴木勝吾
土方歳三:矢崎 広

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アクサル「三銃士~仮面の男~」観劇 [┣矢崎広]

3月11日午後2時46分―その時間に観劇中になるだろうことは、やはり少し意識したが、公演期間が3日間と短かったため、選ぶ余地がなく、この公演を観劇することになった。
アクサルでは、終演後の挨拶時にキャストと観客が揃って黙とうの時間を持った。よい心遣いだったと思う。

ブルーシャトルプロデュース アクサル第13回公演
「三銃士~仮面の男~」

原作:アレクサンドル・デュマ・ペール
脚本・演出:吉谷光太郎
振付・ステージング:舘形比呂一
音楽:tak(SounDive Orch.)
殺陣:奥住英明(T.P.O.)
照明:黒尾芳昭(株式会社Azure)
照明操作:藤原七穂
ピンスポット操作:浅野克巳、西川潤子
音響:中島聡(有限会社カムストック)
音響操作:楠瀬ゆず子、水木さやか
舞台美術:小池れい
衣裳:田中秀彦、大野知英(iroNic ediHt DESIGN ORCHESTRA)
ヘアメイク:earch
舞台監督:井関景太(有限会社るうと工房)
演出部:松本憲治、大谷拓弥

その昔、「暁のローマ」といういけてない舞台を何度も観てしまったため、つい、外部公演の「ジュリアス・シーザー」を観て口直しを図り、以後、ASCに嵌まってしまった。
もちろん、今回の観劇は、「仮面の男」といういけてない舞台のせいです。

アクサルという演劇ユニットについては、以前、「11人いる!」のチラシを見て知ったのだが、スケジュールが合わず、観劇しないまま、ライフが上演してしまったので、そのままになっていた。ほかにも「BANANA FISH」を上演しているそうなので、ライフのライバル的存在なのかもしれない…と思っていたが、実際観劇してみると、雰囲気はずいぶん違う。
脚本、演出が若い男性ということも大きいのかもしれない。展開はライフよりずっとスピーディーだ。

さて、今回の公演の特徴は、子供でも知っている、いわゆる『三銃士』の世界と、彼らの30年後の物語である『仮面の男』の世界を並行して表現したことだ。
この劇場には緞帳がないようで、開演前、舞台には、チェス盤を模したステージと、そのサイズに見合った駒、そして2枚の背景画がある。2枚の背景画は、「The Three Masketters」と題されたものと「The Man In The Iron Mask」と題されたもの。それぞれの年代も書かれていて、「仮面の男」は「三銃士」のだいたい30年後の物語なんだなーと、開演前に思っていた。
そして事前に配られたキャスト表に、“若き日の××”と書かれていたので、回想シーンが挟み込まれるんだなーと思った。
しかし、実際は、まったく違っていて、「仮面の男」の物語に、「三銃士」の物語が絡み合っている。そして役者は、たとえば、若き日のアトスは、アトスの実の息子、ラウルと同じ役者が演じていて、違和感がないようにできている。(これが大きくなったらこれか!という違和感はあるかも。)

ミレディーは男優が演じていたが、アンヌ王妃やルイーズは、語り部というかダンスでいろいろ表現しているモリエール(蔡暁強)が、衣装を動かすことで存在を表していた。もしかして、このユニットには女役の俳優はいないのかな?
そして、最終的に、ルイ14世とフィリップ(矢崎広=二役)のチェンジは失敗に終わった、ということかな?

いくつか、宝塚版「仮面の男」と同様のストーリー展開の弱さ(ダルタニアンが三銃士の側に戻ってくるキッカケ等)はあるが、アクションの派手さや、息をもつかせぬ展開に、まいっか!と思わされるものがあった。
この辺は宝塚が真似するのは無理だろうなぁ。

3.11ということを意識せざるを得ないこの日、スカッとする舞台を観て、人間の持つエネルギーを強く感じた。明日も頑張ろう!という…
溢れるエネルギー、ありがとうございました!
特に大人三銃士+ダルタニアンは、しぶくてかっこいい四人でした!


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