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祐飛さんの思い出(7) [┣祐飛さんの思い出]

(7)2004年

宝塚歌劇90周年のこの年、各組2番手が1年間他組にシャッフル出演することになった。
2003年の夏の終わりに慌ただしく発表され、お正月の東京公演後半から、まず、安蘭けいが宙組に出演することになった。2003年は年末まで青年館で主演公演をしていたのに…である。

2番手が大劇場でシャッフル出演している間、バウホールは各組3番手の主演公演(東上付)が粛々と計画されていた。

しかーし[exclamation×2]

前年に大病を患い、バウホール公演が代役上演された月組の霧矢大夢だけは、2番手でありながら、シャッフルにも行きながら、新たにバウホール主演公演が企画された。
そして、月組3番手のはずの大空祐飛は、各組3番手(花=彩吹真央、雪=壮一帆、星=真飛聖、宙はW2番手なのでナシ)の最上級生にもかかわらず、バウ主演の機会を失ってしまったのだった…これは不幸と言わずして、何と呼ぶのか…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]

私の、ファンとしての不幸は、それだけではなかった。
前年、「巌流」で、安蘭けいとW主演と言ってもいいほどの活躍を見せた星組の汐美真帆が、突然、「1914/タカラヅカ絢爛」の公演で、立ち位置を下げられた。

え、なに、劇団が私にイジワルしてるのっ[exclamation&question]

宝塚歌劇団では、ゆっくりと成長していた生徒が急上昇することがある。
2004年の時点で、既に花組2番手となっていた瀬奈じゅんも2000年に1期下の水夏希が組替えしたのを機に一気に浮上した。
そういう意味で、真飛聖も2003年にスター生徒が大量退団した後、浮上するかと見られていた。しかし、その時点では、月組から組替えしてきた汐美の方が、なぜか役付がよかったのだ。全ツの2番手羽根、「王家に捧ぐ歌」のウバルド役、そして「巌流」の武蔵…そこで、つい、期待した自分がいた。だから、さらに辛いと思った[もうやだ~(悲しい顔)]

2004年は、紫吹淳のサヨナラ公演「薔薇の封印」の東京公演から始まった。
祐飛さんは見事に3役を演じ分け、立派に役目を果たしているように見えた。
ただし、新トップは、専科から特出していた彩輝直と決まったため、代が代わっても、組内2番手・霧矢大夢、3番手・大空祐飛の序列に変更はなかった。

新トップ、彩輝直のお披露目は、全国ツアー公演「ジャワの踊り子」。
初演は、1952年。その時も、1982年に麻実れい主演で再演された時も、2番手役は、オースマンという青年の役だった。
が、発表されたオースマン役は、若手の北翔海莉で、祐飛さんは、専科の人が演じていたハジ・タムロン役に配役されていた。当然、これはもう番手落ちだのなんの…と、ネットで書かれる毎日[爆弾][爆弾][爆弾]
フィナーレナンバーを見れば、祐飛さんがツアー2番手なのは明らかだったし、祐飛さんの演技力を考えれば、単なる青年役より、屈折したタムロン役の方が嵌まるし、直後に上演された花組の同公演では、路線まっしぐらの蘭寿とむがタムロン役に配役されていたし、何も心配することはないはずなのに、やはりどこか不安を抱えてしまうのは、星組でのケロさんのことが響いているからかもしれなかった。

しかし、祐飛さんは、仕事への忠誠と、人間としての誠実さに引き裂かれていく、一人の男の人生を見事に演じ切り、タムロン役でよかった…とまで思う充実ぶりだった。
後日談として、祐飛さんのタムロンに感銘を受けた演出の植田先生が、遅まきながら花組版のためにタムロンのソロを用意した…ということがあった。もしかしたら植田先生のリップサービスかもしれないが、ファンとしては嬉しい話だ。

続く大劇場公演は、彩輝の大劇場お披露目公演かつ、映美くららのサヨナラ公演「飛鳥夕映え/タカラヅカ絢爛II」
ここにシャッフルでやってくる他組の2番手は、花組の瀬奈じゅんと雪組の貴城けい。同期の二人が2番手スターとして上に降ってくる…組内に同期のいない祐飛さんとしては、同期生と一緒の楽しさと、立派に2番手を務めている同期生を見上げる苦しさと、両方がないまぜになるのではないか…そんな風に想像した。

2番手シャッフル公演は、星組公演では、真飛聖の上に同期の大和悠河とか、花組公演では、彩吹真央の上に同期の霧矢大夢とか、これまで組が違うことで、立場の違いに目を向けずに済んでいたところに、敢えて踏み込む形となった。同期でも立場が上の人間が、自分よりいい衣装を着て、いい位置で歌い踊る…という…[爆弾]
そんな中で、月組大劇場公演「飛鳥夕映え」は、瀬奈、貴城、大空三人による「役替わり」公演が企画された。

祐飛さんのターニングポイントには必ずこの方の存在が…という柴田先生の脚本。そして、三者三様の中臣鎌足が火花を散らす、スリリングな舞台が出来上がった。
ハッタリが効いて舞台映えのする瀬奈の鎌足。
眼力と声で悪の魅力を見せつける貴城の鎌足。
そんな中で、祐飛さんは、入鹿との関係性の中で、彼への執念をつのらせていく物語性のある、人間臭い鎌足を見せ、スターの二人に対して一歩も引くことはなかった。
ショーでは、スターの二人とは違う衣装で踊る場面の連続だったが、後になって考えると、この時の共演が祐飛さんの中で、自分にあるものとないもの(既に十分に勝負できるものと、全然足りてないところ)を知る機会となったのではないだろうか。

その『飛鳥夕映え』の東京公演中、次の大劇場公演『エリザベート』の配役が発表された。シャッフルで今回月組に出演していた瀬奈じゅんが、そのまま次回公演にも出演、エリザベート役を演じる…という意外な配役だった。
フランツ役には、専科の初風緑が出演し、霧矢大夢がルキーニ、そして、大空祐飛はルドルフ役ということまでが、東京公演のお茶会までに発表された。
その時は、祐飛さんがルキーニ役とかやってみたい…と言っていたこともあり、「今さらルドルフ[exclamation&question]な気持ちが大きかったが、そういう公演の時の方が、祐飛さん、すごい[ぴかぴか(新しい)]という結果になることは、タムロンで身に染みていたので、この時は、期待と不安が半々だっただろうか。

さて、当初、「飛鳥夕映え」の役替り公演は、「東京公演で実施するかどうかは未定」として発表された。客寄せのための役替りなので、集客が見込める東京公演では実施してもしなくてもどちらでもよかったのだろう。
役替りをする三人だけでなく、三人と演技するすべての人たちに影響があるし、替わるたびに舞台稽古が入ったりする。正直、めんどくさいものだと思うが、たくさんの人の尽力があったのだろう、東京公演も役替りは実施された。
祐飛さんは、そういうギリギリの強運の持ち主なのかもしれない。

そして、その強運はさらに発動することになる。
3番手なのにバウホール主演ができなかったのは、祐飛さんだけではなかった。W2番手の下級生側ゆえに、昨年主演していない大和悠河がいた。
劇団は、大和悠河と大空祐飛の二人用に、同じ脚本のバウホール公演を用意した。
海外留学中の植田景子先生の新作…それが、『THE LAST PARTY』だった。

この公演が、とても急に決まったというのは間違いない。
当時、宝塚舞踊会は生徒の自主公演で、毎年幹事となる専科生が、各組の生徒をスカウトしていた。一応、生徒でいる間に一度は出演しなければならないという不文律はあるものの、スター生徒が出演しないとチケットが売れないので、トップスターや番手スターは、数年に一度の割合で参加していた。そして、番手の狭間にいるのをいいことに、祐飛さんはしばらく出演していなかった。
そんなこんなで、『ジャワの踊り子』の時、専科の邦なつきさんからスカウトされ、舞踊会出演を決めた時、祐飛さんは、何度も組のプロデューサーに秋のスケジュールを確認したという[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]「何もない」と[爆弾][爆弾][爆弾]

秋のスケジュールといえば、宝塚90周年のこの年、一大イベントが待っていた。
10年に一度の“大運動会”[exclamation×2]
10年前(1994年)は屈辱の最下位[exclamation]79期以上だけが知っている屈辱だが、
ズルをしてでも優勝[ぴかぴか(新しい)](by大空祐飛)
を合言葉に、全競技、燃えに燃えて、勝利をもぎ取った。
何かの競技の時、星組の柚希礼音が、半泣きで“ズルい”と抗議していたが、正々堂々とやっていたのでは、勝てない、と10年前に星組に教えてもらったのだから、ちえちゃんは知らないだろうけど、これは仕方のないことなのよ…。
何が何でも優勝する。何をやっても優勝する[爆弾](by紫苑ゆう)
祐飛さんは、応援合戦の衣装探しなども積極的にやったりしていて、意外と運動会を楽しんだ一人だったような気がする。
何はともあれ、優勝、おめでとうございます[exclamation×2]
この時、月組にトップ娘役がいなかった(映美卒業後、次の公演が『エリザベート』で、瀬奈がヒロインを務めることもあって、トップ娘役は発表されずじまいだった)こともあり、トップコンビのレースに代わって、1・2・3レースという男役のトップ・2番手・3番手が障害物競走に挑むレースがあったが、彩輝・大空・霧矢の三人が走る姿は、ナイスバディすぎて、かなり話題になったりした[あせあせ(飛び散る汗)]
ちなみにこの時の1・2・3メンバーは…
花組 春野寿美礼・瀬奈じゅん・彩吹真央
月組 彩輝直・霧矢大夢・大空祐飛
雪組 朝海ひかる・貴城けい・壮一帆
星組 湖月わたる・安蘭けい・真飛聖
宙組 和央ようか・水夏希・大和悠河
専科 轟悠・初風緑・樹里咲穂
(ここにえりたんがいる…ということが、彼女の宝塚人生の特異さを物語っている気がする…)

ここで、少し話を戻す。
祐飛さんが東京宝塚劇場公演『飛鳥夕映え/タカラヅカ絢爛II』の舞台稽古にいそしんでいた頃、劇団HPに星組の退団者が発表されていた。

汐美真帆[もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]

ほんの3年前、『血と砂』でW主演を果たした二人は、明暗がくっきり分かれた。

しかし、宝塚というところは、残酷なほどに心優しい場所で、舞踊会は二人にとって最後の共演の機会となった。
植田先生のご子息、山村若先生のご指導の下、二人は、長い長い二人舞を披露した。
それが、ラスパ初日の2週間前のことだった[爆弾]

その『THE LAST PARTY』は、主役が2時間出ずっぱりの公演だった。膨大なセリフと歌。栄光から転落する悲惨な人生を繰り返し演じる。心身ともにボロボロになるだろう物語でありながら、祐飛さんはタフだった。
初日明けの2回公演の後、祐飛さんは、ケロさん(汐美)の最後のDSを見に来たりしている。(ちなみに次の日も…。これは、私を含む『血と砂』ファンには堪らない出来事だった[ぴかぴか(新しい)]

そして、この年、もうひとつ、衝撃的な発表があった。
トップに就任したばかりの、彩輝直が、突然『エリザベート』での退団を発表したのだ。
これだけでも、いったい月組は、どうなっちゃうのか…[爆弾][爆弾][爆弾]という感じだが、この発表には、続きの衝撃が用意されていた。
2004年12月、劇団は、次期月組トップスターに瀬奈じゅんが就任する、と発表した。

大空祐飛にとって、本当の激動の時代が幕を開けようとしていた。

そして、12月26日、汐美真帆が、14年の男役人生に終止符を打った。帝国ホテルに泊まって、一部のメンバーはフェアウェルに行って、残りのメンバーは居酒屋で待機し、その後、一晩中ケロさんのことを語り合った。その時、大好きな人の最後の日、フェアウェル・パーティーに参加できないのは、寂しいことかも…と、心の片隅で考え始めていた。

2004年 『薔薇の封印』(東京宝塚劇場)、『ジャワの踊り子』(全国ツアー)、『飛鳥夕映え/タカラヅカ絢爛II』(宝塚大劇場→東京宝塚劇場)、「90周年大運動会」(大阪城ホール)、「宝塚舞踊会」(宝塚大劇場)、『THE LAST PARTY』(宝塚バウホール)


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祐飛さんの思い出(6) [┣祐飛さんの思い出]

(6)2003年

前年の12月に衝撃の発表があった後、2003年は、中日劇場公演「長い春の果てに/With a Song in my Heart」からスタートした。
前年の本公演とまったく同じ内容の公演。トップコンビとシューマッハ全員出演という豪華な公演だったが、ファンにとっては、これでシューマッハ解体という涙・涙の公演となった。
この中日公演の観劇後、手羽先を食べて飲んでいる時に、星組のドラマシティ「雨に唄えば」と全国ツアー「蝶・恋」の振り分けが発表された記憶がある。あー、ツアー組の2番手はケロさんなんだなぁ~[ひらめき]これは栄転なんだなぁ~[かわいい]と思ったのを覚えている。

一方、月組は、「花の宝塚風土記(春の踊り)/シニョール・ドンファン」で新体制をスタートした。
この公演には、当時の新専科から、汐風幸・彩輝直が出演し、汐風はこの公演を最後に退団を発表した。
組内の体制としては、大和悠河の異動に伴い、霧矢大夢が組内2番手のポジションに就き、ショーの立ち位置、衣装などから、大空祐飛との差は歴然としたものになった。それどころか、祐飛さんは、4年後輩の月船さらら、6年後輩の北翔海莉と同じような衣装で出ることが多く、ファン的には、ある種の覚悟を強いられる公演となった。
ただ、芝居では、作・演出の植田景子先生の理想の男性、スティーブ役を演じ、さり気ない芝居の中に強烈な印象を残している。
衣装担当にデザイナーのコシノヒロコさんが起用され、ちょっとしたスーツなのにおしゃれなスカーフを巻いたり垂らしたり、それがもう似合うのなんの…芸能人じゃなくて、そのマネージャーなのに、こんなに素敵でいいの[exclamation&question]

6月、TCAスペシャルに出演。『ディア・グランド・シアター』出演。関係ないけど、このTCAが、伝説のブラックジャックの影登場だったんだな~[爆弾]

6月末から「花の宝塚風土記(春の踊り)/シニョール・ドンファン」東京公演。この公演の序盤に信じられないことが起きた。
いつも元気いっぱい、伸び盛りの組内二番手、霧矢大夢が、病気休演となった。代役は北翔、そして、秋に予定されていた霧矢のバウホール公演は、月船が代役主演することが決定した。
ファンの執着って怖いなぁ~[爆弾]と思う。きりやんの不在を悲しみ、早く回復してほしいと願う気持ちより、代役とわかっているのに、祐飛さんよりよい衣装を着て、祐飛さんより内側にいるみっちゃんの姿に、将来の月組でのポジションを見せられるようで、つらかった。さららんがバウ単独初主演してしまうことに、危機感を抱いた。
かといって、スター競争にやっきになっているのではなく、そうして4-6年後輩に抜かれたら、たぶん退団してしまう…そのことを一番危惧していた。
特に仲良くしていた先輩スター汐風さんの退団で、祐飛さんも思うところはあるかな…などと考えたりして。

そんなわけで、当時異動したばかりの新会社の事務所開きも近いというのに、「最後のディナーショーなので[exclamation]と言ってお休みをもらい、宝塚に向かったのでした[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)](ディナーショーは、その後、3回やった…[爆弾]

そう、この年の9月、二度目のディナーショー『SPARK!』が開催された。
共演は、紫城るい・音姫すなお・彩那音・龍真咲。最下級生の龍は、研3。当時、祐飛さんは、まさおくんのことをすごく可愛がっていたそうだ。
宝塚でのディナーショーは、友人の電話が繋がり、無事ゲット。東京公演は、宝塚ファンの本社役員さんにお願いして、OG経由でゲットしてもらった席と、前年に知り合ったファンクラブ会員の方に申し込んでもらった席とで、都合2回観劇した。
演出が石田先生だったので、おちゃらけた場面もあり、実は、そんな場面を楽しんでいるような祐飛さんを初めて知った。祐飛さんの魅力は、決して一方向だけじゃない、もっともっといろんな祐飛さんを知りたい!そんな気持ちが湧き上がってきたことを覚えている。

その一方で、各組2番手が主演する…というなぜか明確なビジョンで上演されたこの年のバウホール公演(すべて東上)に、同期の瀬奈じゅん、貴城けいが入っていることで、劇団の方針は確定したんだなーと思ったっけ。

そして、月組トップスター、紫吹淳が退団を発表。最後の作品、『薔薇の封印』は、2003年宝塚大劇場の最終公演。紫吹のダンサーとしての魅力を見せつつ、復帰する霧矢にも無理のないカタチ…ということで、小池先生オリジナルのオムニバス一本もの作品。
4部構成で、第1部の前に、第4部(現代)の一部をプロローグ的につける…という凝った設定で、祐飛さんは、プロローグ・第4部でイベント・プロデューサー、ロバート役、第2部でルイ14世の弟、フィリップ役、第3部でユダヤ人のタンゴ・ダンサー、エミール役、と大活躍だった。
大病からの復帰、ということで、きりやんは第2部と第4部(とプロローグ)だけの出演になり、相対的に祐飛さんの出る場面が増え、1本ものということで、銀橋ソロ場面もあった。
そして、前回の大劇場公演に続きこの公演にも専科から出演し、次期月組トップスターとなる彩輝直に仲良くしてもらっているらしい…と漏れ聞こえ、総合的になんとなく安心したのを覚えている。
この頃になると、東京だけでなくムラの公演もお茶会に合わせて行っていた。またまたファンとして、深いところに入ったことを感じる一年だった。

2003年 『長い春の果てに/With a Song in my Heart』(中日劇場)、『花の宝塚風土記/シニョール・ドンファン』(大劇場→東京)、DS『SPARK!』(宝塚ホテル→第一ホテル東京)『薔薇の封印』(大劇場)5月くらいに千葉の方でトークショーがあり、応募はがきを10枚くらいつぎ込んで見に行ったのは、たしかこの年だったはず…[あせあせ(飛び散る汗)]
それと、DSの後くらいに、宝塚バウホールで『バリアフリーコンサート』に出演していた。ここで、「愛あればこそ」(ベルサイユのばら)と「最後のダンス」(エリザベート)を歌ってくれたのが、嬉しかったなぁ~[揺れるハート]

<追加>
部屋を掃除していたら、霧矢の休演に伴う代役の書かれた紙が見つかった。記念にアップしておきたい。

霧矢休演代役.jpg


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祐飛さんの思い出(5) [┣祐飛さんの思い出]

(5)2002年

この年は、お正月から大劇場で「ガイズ&ドールズ」の公演。
リカさん(紫吹淳)時代の月組にあって、唯一組子だけで上演された公演だった。
この公演で、祐飛さんは、3人組のお調子者達のリーダー格、ナイスリー・ナイスリー・ジョンソンに配役された。
思えば、初演時に芸達者な役者に当てられた役を、二枚目に振る、21世紀的配役の始まりはこの辺りだったのかもしれない。
初演では、この役は、未沙のえるが肉布団を着て演じた役だった。それを肉布団なしで演じる…暗い役を演じると定評があったものの、笑いを取る役なんてやったこともない祐飛さんにこの難題…いったいどうすればいいのか、相当悩んだのではないだろうか[ふらふら]
ちょうど、この頃、誰でも自由に書き込めるインターネットの掲示板が流行し始めたこともあり、大空が、肉布団を拒否した、という噂がまことしやかに流れていたが、当時の関係者の証言を総合すると、最初から肉布団をつけるという構想はなく、役が少ない公演を、名わき役も減った月組で上演するための苦肉の策、ということだったらしい。
(よーく考えてみれば、この当時の祐飛さんに、肉布団で三枚目なんて大役、回ってくるはずもなかった!)

この「ガイズ&ドールズ」東京公演中の4月、前年の「血と砂」の頃からネット上で繋がっていた友人と、いわゆるオフ会を開催、以後、東京近辺のメンバーは、ことあるごとに集まるようになった。あれから12年、今も繋がるこのご縁に、ただただ縁とは本当に不思議なものだと、あらためて思う。

続く全国ツアー公演は、リカさんが花組時代にバウで上演された「サラン・愛」の再演。
祐飛さんの演じたのは、イ・セファン(李世煥)というリカさんの腹心の部下役。
中村一徳先生のこの芝居は、いつも満月の背景とか、ヒロインのとんでも性格とか、数々のネタを孕んでいたが、祐飛さんにピッタリの役ということで、ファンとして嬉しい時間を過ごすことができた。ただ、ショーは、「Jazz Mania」の再演ということで、本役きりやん(霧矢大夢)のテクニック満載の短いダンス場面を祐飛さんが踊ることになった。
今だから話せることだが、実は、この公演を観るまで、祐飛さんのダンスが相当アレだということに、私は気づいていなかった[がく~(落胆した顔)]
2000年から毎年祐飛さんの誕生日には観劇する、と決めていたので、私の初見は秋田ということになった。そして、遥か彼方の地で、私は血の気が引くような思いを味わったのだった。うわー、ありえないわ、このダンス[爆弾]と。
でも、ファンをやめることはなかった。

そして、その次の公演で、大空祐飛最大の衝撃がやってくる。
女役[exclamation×2]
でも、なんだかんだいって、この「長い春の果てに」で演じたフローレンスちゃんは、ファンには好評だった。

おっと、大事なことを忘れていた。
2002年は、私にとって特別な年だった[exclamation×2]
お茶会デビュー[exclamation]
私のお茶会デビューは「長い春…」の大劇場公演、ケロさん(汐美真帆)のお茶会。
いきなり祐飛さんのお茶会に行くのは、少々怖かったので…でも、行ってみたら、ケロさんのお茶会も十分恐怖でした[がく~(落胆した顔)]
てか…お茶会、無理…!![もうやだ~(悲しい顔)]な気分、敗北感いっぱい!![バッド(下向き矢印)]
そんなピュアな時代もあったなぁ~と、しみじみ(笑)一昔前ですからね。
で、もう、ビクビクしながら命懸けで参加した、本命、祐飛さんのお茶会は、「長い春…」東京茶会。東京會館のローズルーム、その太い柱の近くの席だった。当時は、歌のプレゼントがあって、スポットを浴びながら、テーブルの近くを練り歩いてくれたりしたのを微かに覚えている。
ゲスト交流も華やかな頃で、たくさんスターさんが来てくれたと思う。
そして、祐飛さんのトークや客席のさばき方が絶妙で、行く前よりずっとファン度が増していた[黒ハート]
祐飛さんとの交流は握手タイムだけで、その距離感にも救われた感じ。今思うと、この時祐飛さんは女役で、その分、視線とかが鋭くなかったのもよかったかもしれない。
そんなこんなで、以後、「祐飛さんのお茶会」は、私の観劇人生のマストアイテムになっていくのでした[グッド(上向き矢印)]

そして、クリスマスイブに衝撃のニュースが飛び込む。
シューマッハ解体[exclamation×2]
しかも、月組の次代を担うと信じられていたタニちゃん(大和悠河)が異動する、と。
祐飛ファン的には、「血と砂」コンビの解体発表[もうやだ~(悲しい顔)]でもあった。

2002年 『ガイズ&ドールズ』(大劇場→東京)、『サラン・愛/Jazz Mania』(全国ツアー)、『長い春の果てに/With a Song in my Heart』(大劇場→東京)この間、10月に大阪で『日本の美を愛でる』というイベントに紫吹&映美コンビ以下数名が出演。着物姿で日本の童謡などを歌った。祐飛さんは「この道」などを歌った模様。

【今日の言葉】~宝塚日めくりカレンダーより~
「これは僕の本心だ。君を愛している。君だけを愛している。これは決して嘘じやない」byロベルト@『戯れに恋はすまじ』
作・演出:高木史朗
雪組 1958年

掲載されている写真は、明石照子さん、筑紫まりさんでした。


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祐飛さんの思い出(4) [┣祐飛さんの思い出]

(4)2001年

2001年は東京宝塚劇場のオープン年。
ウキウキと劇場に足を踏み入れた私は、プログラムを見て愕然とする。
きりやんと写真のサイズが違う…[もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)][もうやだ~(悲しい顔)]当時、シューマッハとして、四人一組で活動していた汐美真帆・大空祐飛・霧矢大夢・大和悠河の4人の中で、一人だけ写真が小さく、明らかに扱いが下がっていた[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
でも、でも、でも、祝舞の場面で、下手花道のセリから上がって来る祐飛さんを見た時、「このセリを一番に使った生徒として、永遠に記録が残る[exclamation]と気を取り直した。もっと違う意味で、記録を残すなんざ、思いもよらない2001年だった。

公演は「いま すみれ花咲く/愛のソナタ」。
祝典の和物ショーと、フィナーレ付のお芝居。その芝居で、私が感じたのは、自由な部分の演技が毎度同じだなぁ~ということ。あまり遊び心を発揮していないような…[たらーっ(汗)]たぶん、私の中では、祐飛さんのやる気が一番低かった印象のある公演だ。
「いま すみれ…」は、東京宝塚劇場のリニューアルオープンを記念したショーだったため、大劇場公演は、「愛のソナタ」を前ものの芝居にして、「ESP!!」という後もののショーを作った。
真琴つばさのサヨナラ公演となったこのショーは、シューマッハをフィーチャーした内容で、祐飛さんも大活躍。女装もしちゃいました[るんるん]
夢に見そうな二の腕だった…[爆弾][爆弾][爆弾]

7月に、梅田の新阪急ホテルで初DS開催。今にして思えば、新阪急ホテルというのが異例だった[どんっ(衝撃)]私にとっても初のDS参加でした[ぴかぴか(新しい)]
実は、どうしても見たくて、仕事関係のツテで“一生に一度”のお願いまでしちゃったのでした[ダッシュ(走り出すさま)]
あの時、祐飛さんは、池田小の事件に触れて、巻き込まれた子供たちの魂のために…と、「Amazing Grace」を歌った。その時はへぇ~!という感じだったが、タカラジェンヌって、実はあまり現実社会の悲惨な話を公の場ではしなかったりする。だから、あれもかなり異例のことなんだなーと今では思っている。

真琴のサヨナラ公演が、東宝⇒大劇場という変則公演だったため、紫吹淳のお披露目公演は、東京宝塚劇場のみ、という変則公演だった。
この頃、祐飛さんは、毎公演退団の噂が出る状況だったが、この公演だけは集合日にドキドキしなくて済んだ。なぜなら、この公演の後にバウホールで主演することが発表されていたから。
この「大海賊」は、退団時まで、“フレデリック様”のビジュアル最高!と呼ばれるほど、ファン人気の高い役だった。ロイヤルブルーの衣装に金髪のロン毛の似合うことといったら[exclamation×2]

10月20日、バウホール初主演(汐美真帆とW主演)『血と砂』開幕。
いろいろな意味で忘れらない公演。
この頃にできたヅカ友が、私のヅカ人生だけでなく、実人生に大きな影響を与え続けている。そんな出会いをくれた、祐飛さんとケロさんには、私は一生頭があがらないのだ[かわいい]

11月にDS東京公演。
当時は珍しかった第一ホテル東京でのDS。そういえば、前年12月に、同じ、宴会場“ラ・ローズ”で「サヨナラ1000days劇場」の中継イベント(司会:大空祐飛)も参加したっけ。
両方とも電話が繋がって、かなり後ろの方の席だったが、観ることができた。
念ずれば通ず―って別に電話が通じることじゃないと思いますが。
同じDSを7月と11月に行うというのも珍しいと思う。なので、曲目の入れ替えも多く、出演者の変更もあった。
そして、間に、9.11があった。
その犠牲者のために、アカペラの歌が捧げられた。 

2001年 東京宝塚劇場公演『いま すみれ花咲く/愛のソナタ』オットー役。大劇場公演『愛のソナタ/ESP!!』新阪急ホテルディナーショー『Selfish...』(初DS)東京宝塚劇場公演『大海賊/ジャズマニア』バウホール公演『血と砂』プルミタス役(バウホール公演初主演(汐美真帆とW主演))。第一ホテル東京ディナーショー『Selfish...』


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祐飛さんの思い出(3) [┣祐飛さんの思い出]

(3)2000年

1999年の1年を祐飛ファンとして駆け抜けた私は、2000年2-3月の大劇場公演も“当然”行くことに決めた。
宝塚なんか好きでも何でもない友人を半ば騙すようにして、関西旅行を決め込んだ。
その公演が、「LUNA/BLUE MOON BLUE」。
公演の魅力に祐飛さんがピタッと嵌まったこともあって、私のファン熱はここでピークに達した。

当然、東京公演は、通いまくった。(自分比)
たぶん、6回位観たんじゃないかな?当時としては最高記録。
そして、8月の博多座公演に行く計画まで立ててしまった。こちらは、会社の宝塚ファンの友人を抱きこんで。
当時は、チケットの取り方もよくわかっていなくて、東京駅のぴあに並んだ記憶がある。

その博多座がまたよかった[exclamation×2][exclamation×2]
役替りで回って来た「BLUE MOON BLUE」の“戦士”の役がめっちゃ嵌まっていて、そして、たまたまだったのか、私たちが観た時に、トップの真琴つばささんが、祐飛さんにちょっとしたコンタクトをしてくれたのが嬉しくて…もう、最高の夏休みだった。

そして、秋の「ゼンダ城の虜/Jazz Mania」は、東上しない公演だったので、当然のように、関西旅行に行った。
余談だが、この時、生まれて初めてバウホール公演も体験した。(星組の「花吹雪 恋吹雪」)
「ゼンダ城の虜」は、二枚目男役が犇めく中、それなりに活躍の場もあり、楽しく観劇したが、「ジャズマニア」を観て、イヤな予感がした。
あれ…タニちゃんは既にバウ主演もしているスターで、ケロさんは上級生だけど…きりやんってこの前まで、祐飛さんの下っていう扱いだったよね…と。

そう、博多座で私が浮かれている間に、バウW主演を経験していたきりやんが、この公演でグイグイ上がって来ていた。
誰かのファンになるということは、それ以外の生徒の動向に平静でいられないことでもある…と、知ったのが2000年という年だった。

今回は、ちょっと、ダークな内容も書いちゃいました[爆弾]

2000年 大劇場公演『LUNA/BLUE MOON BLUE』ジョー役。同東京公演(役替り)ピート役。同博多座公演 ピート役&ショーの戦士役の役替り。大劇場公演『ゼンダ城の虜/Jazz Mania』ド・ゴーテ役。


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祐飛さんの思い出(2) [┣祐飛さんの思い出]

(2)1999年
まあ、何度も書いていることですが…
こうして年が明け、1999年のお正月のこと。
たしか4日の朝刊だったと思う。
紫吹淳の休演と代役の記事が載っていた。一応、紫吹の演じたプガチョフ役を新人公演で大空祐飛が演じたことは覚えていたらしく、…ということは、プガチョフ役の代役は大空祐飛か…と咄嗟に思った。
その日は公演を見る日だったので、昼、社内メールで一緒に行く友達に、「大空祐飛は好きだから嬉しい」と書いた。
書いて驚いた。
私、大空祐飛が好きだったのか!と。
その日、遅刻して劇場に到着した私は、公演が終わった時には、「好きだったのか!」から「好きだ!」となっており、以来、大空祐飛を求めて、過去への旅が始まったのだった。
誰か好きなジェンヌができた時、とりあえずは、過去への旅が始まる。
自分の気付いていなかった時代の、歌劇・グラフを探す。
ビデオを観る。
ネットを調べる。
その頃、公式ページにあった掲示板をこまめに見たり、(“ゆうひが丘”という名前だったような?)ファンサイト(2ヶ所位あった)をチェックしたり、そんなことが日課になった。
久世星佳ファンで、彼女の早すぎる退団を認められなかった私は、「NON-STOP」のビデオを買いながら、見てはいなかったのだが、まずその封印切りから始まり、友人に貸したままの「銀ちゃんの恋」を取り返し、そして「ブエノスアイレスの風」「ワン・モア・タイム!」を購入した。
そして、原宿にあったアンジュという店に行き、過去のスチール、舞台写真を大人買い、ない分は申し込んだり…と、初心者ファンの王道をひと通りやったのだった。
その時点で、宝塚ファン10年ほどになっていて、ご贔屓も三人目となっていたのに、そのすべてを上回る勢いで、私は大空祐飛に傾倒していった。
その勢いのまま、私は数々のハードルを飛び越えて行った。

まず、1公演の観劇回数の増加。
これまで、すごく好きな作品で、東京で3公演観劇がMAXだったのだが、週一基本、多ければ週二観劇となった。
個人的事情として、1000DAYS劇場は、東宝より観劇に便利だった。また、旧東宝時代、平日夜公演は17:30開演だったのが、1000DAYSになって18:00→18:30開演となったことも、平日観劇を容易にしていた。
そして、好きな人をロックオンで観劇する行為。
これまでは、トップさんとか2番手さんとか、中心付近の人のファンだったことしかないので、センターを見ない観劇というのはあり得なかった。それが、舞台の端にオペラグラスの焦点を合わせるようになってしまった。それは、演劇を見る時の自分の基本姿勢をも変える大きな出来事だった。
そして、一人旅。
祐飛さんが出る、それだけで、大阪まで一人旅を敢行してしまったのだ。
一人旅は初めてではなかったが、出演時間と旅の価格が割に合わない旅は初めてだった。(真顔)
二幕でこそ通し役があったものの、一幕ではセリフもない、通し役でもない…なのに、私は、祐飛さんが出る、というそのことだけで、嬉しくて、ときめいていた。
色々なハードルを飛び越えた年―1999年は、私にとって、まさに世界が崩壊した年といってもいいかもしれない。
ただ、その時点では、ご本人に近づくことで自分の持つイメージが壊れるのが恐いというのが、私のタカラジェンヌに対する思いだったので、入り出とか、お茶会とかへの興味は皆無だった。そしてファン友もいない私は、バウホール公演は大劇場と違って、そう簡単にチケットが取れない公演という先入観を払拭してもいなかった。
この年の上演作品…『黒い瞳』(1000days劇場)、『から騒ぎ』(バウホール=未見)、『螺旋のオルフェ/ノバ・ボサ・ノバ』(大劇場=未見)、『十二夜』(バウホール=未見)、『螺旋のオルフェ/ノバ・ボサ・ノバ』(1000days劇場)、『プロヴァンスの碧い空』(シアター・ドラマシティ)


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しょっぱいほろ苦さ [┣祐飛さんの思い出]

いつまでも冷蔵庫に置いておいたら、家族の不興を買ってしまったので、仕方なく、もったいないけど食べることに…。

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DSの時のお土産。塩味のチョコレート。
食べてみたら、しょっぱくてほろ苦かった。涙味だな、これ。


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ラスカル切手 [┣祐飛さんの思い出]

懐かしのテレビアニメシリーズ切手として、『あらいぐまラスカル』切手発売!と聞き、買ってしまいました[るんるん]

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アニメから切り取った絵柄も可愛くて懐かしかったけど…やっぱりラスカルに似た人を思い出してしまいました[あせあせ(飛び散る汗)]

切手として販売するにあたり、目もとをくりっ[ぴかぴか(新しい)]と黒目がちに直しているところまで、「おんなじじゃん[目]」と思ったりして…[わーい(嬉しい顔)]


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祐飛さんの思い出(1) [┣祐飛さんの思い出]

退団から2ヶ月経過したので、そろそろ思い出の棚卸なんかしてみようかと思う。
基本、自分語りの備忘録となる予定なので、ナナメ読み程度でお願いします。(そんなわけで、今後もこっそり10日前辺りにアップする予定です。)←そうすると次ページに行くんですよね[ひらめき]

(1) 出会いっちゃー出会い
初舞台の時から芸名は覚えていた。
「キャプテン翼」を意識した芸名なのかなーと。
しかし、よくもまあ、付けも付けたり!の芸名である。
たしかに大空という名字には、普通の名前は似合わないんだけどね。

その後、特に意識することもなく、長い年月が経ち、それは「WEST SIDE STORY」東京公演中に突然、起こった。
当時、私は、トップ娘役の風花舞さんがお気に入り。
当然WSSは、マリア視点で観ていた。
重大な事件が起こったことも知らず、浮かれているマリア。そこへ、ベルナルドの死を伝えようとしてチノ(大空祐飛)がやってくる。どうやって伝えよう、でも、この連絡は自分しかやれるものはいない。泣き叫ぶだろうマリアを自分が包まなければ…と、悲壮な決意をして現れるチノ。
ところが、マリアは、何が重大な事件が起きたことを知るや、トニーの心配を始める。
それはチノにとっては寝耳に水のことで…。
伝えようとしてうまく言葉が出ないもどかしさの中、沸き上がる疑惑が確信に変わり、悲しみと同情が怒りと憎しみに変わり、吐き捨てるように、ひどい言葉をマリアに投げつけるチノ。
WSSを観劇したのは、2回だけで、ほかの場面は全部忘れてしまったが、この衝撃は忘れられない。
ずっとマリア視点で観ていたのに、この一瞬で自分の視点がチノに移ってしまったのだ。
チノの悲しみ、痛み、激情、殺意を自分のもののように感じた。好きだった風花のマリアに対し、苛立ち、絶望し、憎らしくなった。
1000days劇場という、今の東宝より少し狭い劇場空間だったせいもあるかもしれない。
しかし、個別認識もできない下級生の体から、負のエネルギーが劇場を満たすほどに噴出していることに驚いた。
それでファンにならなかったのは、ひとえに、プログラムに掲載されていたオフ写真の写りが悪かったから…あの頃から応援してたら、私の人生はまったく違ったものになっていたかもしれない。
(もっと嵌まって人生踏み外していたか、逆に思いが本人と噛み合わなくてもう終わってたかは、わからないけど)
そんな私が、「黒い瞳」で劇的な出会いをしてしまう前に、前哨戦とも言うべき小さな事件があった。
昭和な宝塚に洗礼を受けている私は、平成になっても宝塚が少しずつ変わっていることに無頓着だった。子供の頃に出会い、しばらく見ない時間があっても、やっぱり宝塚は宝塚でベルばらはベルばら、そんな思いで10年以上宝塚を見続けてきた私は、あるテレビ番組を見て衝撃を受けた。
男役といえば、普段でもリーゼントでブラウスの襟を立てて…と、思い込んでいた私。
入り出の生徒さんの服装や髪形もわからず、舞台と機関誌だけが情報源の私には、勝手なイメージだけが固定観念のようにこびりついていた。ところがテレビに映っている男役は、ごく普通に女の子として可愛い。普通に女の子として通用する髪形をしている。
宝塚は変化しているんだ…と感じたが、決してその変化は悪いものには思えなかった。
大空祐飛、か。
それがチノを演じていた人と同じ人だと自分が気づいていたかどうか、もう定かではない。


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