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鳥取城 [┣百名城]

宙組全国ツアーのついでに、鳥取城に行ってきました[黒ハート]
てか、会場(とりぎん文化会館)と鳥取城が近くて震えた(笑)


新幹線で姫路まで行き、そこから特急スーパーはくとに乗り換えて、鳥取へ。意外とあっという間の旅でした。


鳥取城‐1.jpg乗換時間が30分ほどあったので、一度改札を出て、そこから見える姫路城を撮影[exclamation×2]
前に姫路城に行った際、駅から写真が撮れることは知っていたので、再びチャレンジしてみました[わーい(嬉しい顔)]


スーパーはくと、初めて乗ったのですが…ウッディーで年季の入った作りの電車でした。正直、新幹線ほど快適な電車ではないものの、買っておいたおにぎりを食べたりしながら、鳥取までの旅を楽しみました。


ホテルは鳥取駅前にとったので、まずは荷物を預けに行き、ついでに終演後の食事場所を探す。(これ、重要な仕事!)
再び駅前に戻り…こんなものを発見しました。


鳥取城‐2.jpg大国主命と因幡の白兎。
因幡は鳥取県なんですね[ひらめき]


鳥取城‐3.jpg一方、こちらは、因幡の麒麟獅子舞をモチーフにしたもの。次にお見せする写真も同じ「麒麟獅子」をモチーフにしたモニュメント。
鳥取県・兵庫県に伝わる民俗芸能とのこと。
それを鳥取藩主の池田氏が、徳川氏・池田氏の権威を象徴するものとして保護したようですね。


鳥取城‐4.jpgモニュメントもご覧ください。
映画「ゴジラ」のラストシーンを思い出すようなモニュメントでした。伝わるかな[exclamation&question]


鳥取城‐5.jpgこの日の鳥取は、夏が戻ってきたような天気。
徒歩30分と聞いていたけど、なんか1時間くらい歩いたような気分の中、ようやく鳥取城に近づいてきた感じが…。


こちら、吉川経家公の銅像。
織田信長の中国攻め。鳥取城に籠城する毛利勢に対し、秀吉の採った手段は兵糧攻め。食料の補給手段を絶ち、飢えて降伏するのを待つ作戦でした。
そして、とうとう、餓死者が出て、人肉を食べるようになった時、経家は、切腹して城を明け渡すことを決断します。享年35歳。
そもそもの城主が逃げ出した代わりに入城した経家は、死を覚悟して入城していたと思います。
とはいえ、一番可哀想なのは、領民の保護という名目(もちろん非常時の戦闘要員という意味も含めて)で入城することになった2千人の領民ですが。


鳥取城‐6.jpgちなみに、鳥取は、かの有名な「ふるさと」([るんるん]うさぎ追いしかの山[るんるん])の作曲者、岡野貞一の出身地だったようで、このような歌碑も城(久松公園)入口に掲げられていた。
作曲者の歌碑だから、五線譜も付いているんですね。


鳥取城‐7.jpg鳥取城は、そもそもは、山城。
この山が城だった時代を経て、現在残っているのは、江戸時代に池田氏によって改修された近世城郭。それも、明治9年に鳥取県が島根県に併合された結果、陸軍省に払い下げられ、建物(三階櫓など)は解体されてしまった。
ただ、美しい石垣だけは、残っている。


あと、中仕切門(西坂下御門)というのが残っているのだけど、地図を見ると絶対に横を通ったはずなのに…全く記憶がありません…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
色々な城をめぐっていますが、こういうことは、ほんとよくあるんですよね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][爆弾]城の神様のいたずら…また来いっていうことでしょうか[exclamation&question]


さて、近世城郭としては、「平山城」に分類される鳥取城ですが、ご覧の通り、かなり、急な石段を登り、風光明媚な場所に二ノ丸(天守代用の三階櫓)があります。
ここを山下の丸と呼ぶようです。その上に、本丸、天守台があるらしい(山上の丸)のですが、現在、修復中な箇所があるようで、私には登り道を見つけることができませんでした。無念…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][爆弾]


鳥取城‐8.jpg


こちらが、天球丸の巻石垣。
後ろ側の石垣の崩落を防ぐ目的で作られたそうですが、日本で唯一の丸い石垣です。
天球丸という名前は、藩主池田氏初代の姉(出家して天球院)の居地だった場所で、二ノ丸より上部にあった。


天球丸から急な坂道を降りていくと、そこに、仁風閣があります。


鳥取城‐9.jpgすごいですね。
設計は、ジョサイア・コンドルの弟子である、片山東熊。フレンチルネッサンス様式の建物で、大正天皇が皇太子時代に鳥取を訪れた時の寝所として造営された。


こちらの写真は裏庭のものです。
右側に、お城の石垣が見え、絶景ですね[ぴかぴか(新しい)]
ちなみに、この建物、映画「るろうに剣心」で武田観柳邸として使われたようです。


鳥取城‐10.jpgこちらは、庭に設えられた庭園の一部。私が撮影した部分は、わりと洋風に見える部分ですが、日本庭園風の場所もあって、和洋折衷、ステキなお庭でした。


鳥取城‐11.jpg中も公開されていて、大正天皇が使われていた場所以外は、普通に歩くことが可能。イベントなどの利用も可能のようでした。


中には、東郷平八郎元帥の直筆「天気晴朗なれど波高し」が展示されていたり。(大正天皇の随行員として、東郷元帥も来館され、「仁風閣」の名前を付けられたとのこと。)


鳥取城‐12.jpgこちらが、表から見た仁風閣です。
美しかったですが、中は、めっちゃ暑かったです[あせあせ(飛び散る汗)]


というわけで、鳥取城を後にして、一路、とりぎんホールに向かいました。
(とりぎんホールは、たいへん涼しかったです[わーい(嬉しい顔)]


これまでの城旅の中でも、相当厳しい旅でしたが(修復中で入口も分かりづらかったり…[爆弾])、でも、充実していました。


ありがとう、鳥取城[exclamation×2]


鳥取城‐13.jpg


 


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