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「グレート・ギャツビー」感想 その2 [┣宝塚観劇]

飛蚊症になってしまい、慌てて眼科に駆け込むも、「加齢」と言われてしまいました。いいんです、病気の方がイヤですからね。


ということで、「加齢なるギャツビー」じゃなくて、「グレート・ギャツビー」感想、「その1」はこちらです。


第2部冒頭のシーンは、大劇場用の華やかな場面が新設されている。と同時に、2番手の役になったトムのキャラクターを見せる場面にもなっている。
週末のジークフェルド・フォーリーズのステージを予約したので、一緒にいかないか、と、ニックを誘うトム。が、ゴルフ練習中のニックは、それどころではない、と断る。トムは、仲間を引き連れて、フォーリーズに向かう。
華やかなステージは、アンナ(晴音アキ)とルディ(彩海せら)を中心に繰り広げられる。トムを招待したヴィッキー(結愛かれん)は、踊り子の一人。どうやら、大金持ちのトムに夢中なようで、ステージの最中、トムにアピール(しているっぽいポーズ)を繰り返している。銀橋に居残ってコケティッシュな笑顔を振りまくヴィッキー。それに気づいたルディが、迷惑そうにハケるように促す流れが面白い。東京に来て、少し強調されたかな[exclamation&question]
これを受けて、楽屋に花を持っていくトムを、仲間がからかう。「そんなんじゃないよ」とか言いながらも、まんざらでもないトム。
楽屋に入り、花とゴージャスなアクセサリーをプレゼントすると、ヴィッキーはトムに抱きつく。と、そこへドアが開き、二人を撮影するミッチェル(佳城葵)と恫喝するスレイグル(蓮つかさ)。とっさにヴィッキーを見たトムの芽が、驚くほど冷たい。こういうのを豹変って言うんですね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
ただの金持ちじゃないトムの冷酷な一面がこの一瞬で十分に伝わる。
グルではなく、スレイグルの単独行動だったのは、ヴィッキーの態度からも明らかだったが、お金と身につけた宝飾品(結婚指輪以外)をすべて惜しげもなくスレイグルに渡した後、ヴィッキーにさらっと別れの言葉を告げて去っていく。彼女の言葉を信じるとか信じないとか以前に、スレイグルに付きまとわれている時点で「危険な女」だから、切り捨てたのだ。笑顔で優しい言葉をかけて去ったのは、こうなった原因が、二人がグルだという誤解に基づくものでなく、ヴィッキーと一緒にいることは、スレイグルを呼び込むことで、そんなリスクは冒せないだけだ、というトムの明確な回答なのだろう。愛する人の誤解だけは解きたいと、付きまとわれても困るから。
すべてが終わったことを、愛のない笑顔を向けられて悟ったヴィッキーは、スレイグルの腕の中で絶望する。
一方、スレイグルは、ヴィッキーが金づるだから…とか言っていたけど、ヴィッキーのこと、かなりご執心なのでは…[exclamation&question]と思った。ここでトムから金を巻き上げるより、もう少し深入りしてから脅迫した方がずっと有利なのに、これ以上は耐えられなかったのかも…と思うと、クールなスレイグルだけど、ちょっと…[わーい(嬉しい顔)]


一方、ギャツビー(月城かなと)とデイジー(海乃美月)は、ギャツビー邸で、昼下がりの逢瀬。
再会の喜びのまま、突き進んできた二人だが、二人の心の中の思いは、少しズレている。不安を抑えきれないデイジーに対し、ギャツビーは、自分を信じてほしい、と伝える。
いや、信じるも何も…[たらーっ(汗)]
新しい女性のように見えて、大きな判断をする時に、圧の強いものの発言に従ってしまう、そして、そのことにどんどん傷ついていくデイジー。それは、あの日、家出を思いとどまったことだけじゃないんだな…と感じる。再会したデイジーが、本当に望んでいたことを、ギャツビーは知ろうとしていただろうか[exclamation&question]
そんなことを考えた。深く考えさせてくれる、これが、月組芝居の真骨頂[exclamation×2]


次のシーンは「恋のホールインワン」。
今回の舞台、超有名な主題歌「朝日の昇る前に」と「デイジー」以外の楽曲は、完全新曲だったり、同じ詞に違う曲をつけたりしている。「恋のホールインワン」は、初演で、一路真輝と小乙女幸が歌った人気の曲だが、今回は、曲を変更している。でもまあ、雰囲気は変わっていないかな[exclamation&question]
「恋のホールインワン目指す」より、「恋人はクラブじゃ打てない」の方に印象が寄った感じはするけれど。
ニック(風間柚乃)とジョーダン(彩みちる)の軽妙なやり取りが光る場面だが、だれよりゴルフが上手い風間が、へっぴり腰で演じる姿…というお楽しみも、こっそり忍ばせているのね。
※皆様、ご存じの通り、風間のお父上は、プロゴルファーの小達敏昭氏で、おだちんもゴルフはお上手とのこと。


写真を撮って、それを処分する代わりに金を受け取る…という、カメラマンとして、クソみたいな仕事をしてしまったミッチェルは、激しく後悔して、もらった金を一夜で使い込む決意をして、アイス・キャッスルで飲んでいた。そこへ、先日の料金の精算にやってきたギャツビー。表社会で生きているミッチェルと裏社会のギャツビーの人生が、ほんの少し絡み合う。
そのほろ苦さが、(佳城の酔っ払い芸のすばらしさもあって)映画の1シーンのようでお気に入り。
精算を終えると、ギャツビーは、一大ナンバー「アイス・キャッスルの別れを」を歌い、去っていく。
この曲、太田先生の作曲なんだけど、『カサブランカ』の1幕ラストの曲にすご~く似ていて、ゆうひファンの間で話題になっていた。でも、あっちは、「本当のオレとは…」というものすごく形而上学的ナンバーなのだけど、こっちは、「ツケも返したし、もうこの店には来ない。世話になったな」というナンバーで、歌い上げるの、そこ[exclamation&question]と思うと、ちょっとウケる。


次のシーンが悲劇の伏線になる大事なシーン。
トムとギャツビーの決着をつけるゴルフ大会の朝、両陣営は、ウィルソン(光月るう)のスタンドで鉢合わせしてしまう。
トムはマートル(天紫珠李)のことを尋ねるが、実は、ウィルソンはマートルを2階の部屋に軟禁していた。とうとう、マートルの不倫に気づいたのだ。(相手が誰であるかは、知らない。)
マートルが窓を開けるまでの間に、一触即発状態のトムとギャツビーは、車を交換してゴルフ場に行くことになる。マートルは、「黄色い車」に乗ったトムに、叫び声をあげるが、車をスタートさせたトムには聞こえない。


ゴルフ場での対決がコミカルなダンスで表現される。(振付=尚すみれ)
トムとギャツビーの対決だけでなく、女子プロのジョーダンとセイヤー夫人(白雪さち花)の勝負も同時進行している。そして、ジョーダンは、やっぱり、インチキをやっている[わーい(嬉しい顔)]
(紳士・淑女のスポーツであるゴルフは、自分のスコアを自分で記入する。そこに正しいスコアを書く=ズルをしない、というのは、その人物の紳士・淑女としての矜持を表す。“アメリカの貴族”という表現は、裕福であるだけでなく、この矜持を含めた表現なんだろうな、と感じる。
そして、平気でインチキをしてでも勝とうとするジョーダンは、成り上がりで、あまり育ちが良くないのだろうということも感じる。そんなジョーダンを「親友」と呼ぶデイジーは、たぶん、自分の出自がとことんイヤなんだろうな…なんていうことも感じる。
試合の途中、デイジーは、娘のパメラをギャツビーに逢わせようとする。まだ赤ん坊のパメラは、乳母のヒルダ(夏月都)が連れている。そして、ヒルダは、ギャツビーを見た瞬間に、すべてを察し、パメラを守ろうとする。デイジーと共にブキャナン家にやってきたヒルダ。こんな風に、自分の乳母を連れてお嫁に行く…というのは、南部のお嬢様らしいが、同時に、その存在は、「本当のご主人様」である、デイジーの母への忠誠心を持ったまま、他家の使用人になるということで、へりくだっていても、トムの味方というわけではない。ただ、ギャツビーに関しては、完全に敵なので、ここでヒルダにギャツビーを知られてしまったことは、返す返すも悪手であった。


一方、脳内が完全にお花畑になっているギャツビーは、「子供にまで会わせてくれた。君が産んだ子なら僕は愛せる。さあ、三人で新しい人生を始めよう!」と、目を輝かせる。
しかし、勝負に負けたトムが、ギャツビーについて調べ上げたことを暴露すると、衆人の前で、薄々感じていたことを暴露されたショックで、デイジーは走り去ってしまう。トムは、ギャツビーに、「紳士ならデイジーを無事に送り届けてくれ」と命じ、ギャツビーは怒りに震えながらも、デイジーを追うのだった。


マートルが黄色い車にはねられて死んだ。
大騒ぎになっているところへ、トムとニックが乗る青い車が現れる。行きに黄色い車に乗っていた、とウィルソンに問い詰められるトムだったが、自分は今、青い車で着いたところだ、と答えつつ、「黄色い車」の持ち主はギャツビーに違いない、なんていうクソ野郎だ、オレの女を轢き殺すとは…と怒りを募らせる。
事情聴取をする警察官に、近所の人たちが、マートルのフラッパーぶりを憶測しているのが聞こえ、妹のキャサリン(白河りり)は、姉の名誉だけでも守ろうと、「姉は貞淑な人妻でした。夫のことだけを愛していました」と証言する。その証言を聞いた、錯乱状態のウィルソンの記憶が、脳内で上書きされていく…
光月るう抑えた中に、ふつふつと見え隠れする狂気にぞっとする。


次のシーンで謎が一気に解明する。
黄色い車を運転していたのはデイジーだった。
泣き叫ぶデイジーに、ギャツビーは、車を運転していたのは自分だった、このことは、絶対に誰にも言ってはいけない、と告げる。
しかし、ニックは、戻って来たギャツビーの言葉を聞き、デイジーが運転していたことを確信する。


2008年版で採用された「神の眼」の場面。あの時より整理されて、コンパクトでわかりやすくなっている。
ウィルソンは人生に絶望し、相思相愛だった夫婦生活を脳内で作り上げ、殺意を募らせていく。オレの女を殺したギャツビー許さねえ状態だったトムは、真実を知ると、保身に走り、すべてをギャツビーに押し付けることに脳内決定。
デイジーの幻想約は羽音みか。ジークフェルド・ガールズもやっていて、今回、名前を覚えた一人。流麗なダンスが素敵。
デイジーの罪を隠す方向で一致している二人(ギャツビーとトム)が、[るんるん]の眼はごまかせない[るんるん]と歌っても、全然信ぴょう性はない…[爆弾][爆弾][爆弾]


突堤で夜を明かしたギャツビー。
そこへウィルソンが現れ、黄色い車を運転していたのは、あんたか、と問う。ギャツビーがそうだと答えると、ウィルソンはピストルを向ける。が、その言葉が、永遠にデイジーを守ることに気づくと、「ああ、俺だ」と胸を張り、ウィルソンに撃たれ、斃れる。
白いスーツで華麗にくるっと回転して倒れるっていうのが、宝塚の様式美よね[ぴかぴか(新しい)]
ウィルソンも、自身で頭を撃ち抜き、命を落とす。ひっそりと死ぬウィルソンが哀れを誘う場面でした。


ギャツビーの葬儀には、誰も出席してくれない。
ブキャナン家はヨーロッパ旅行に出かけたという。ウルフシェイムも「友情は生きている時だけ」と、常套句で電話を切る。
「僕たちだけだよ」と声を掛けたジョーダンは、これからトーナメントに出ると言って、去っていく。
でも、たぶん、この時点までで恋人になっていたら、(ニックが一歩踏み出していたら)ジョーダンは残っただろうと思うので、ニック、ダメじゃん[パンチ]とは言っておきたい。


墓地でニックは、新聞広告を見て来た、というギャツビーの父、ヘンリー・ギャッツ(英真なおき)に遭遇する。息子の人生を誇りに思っているような、その素朴な父親の姿に、ニックは、出会う前のギャツビーに思いを馳せる。…と、そこへ車がやってきて、デイジーが薔薇の花を1輪墓に手向ける。
運転してきた夫に促され、立ち去る時、デイジーはそっとニックの手を握る。言えない思いを伝えるように。
ここ(デイジーの登場)は原作にない場面で、初演時から物議をかもしたらしいが、宝塚の様式美として、これでいいのかな、と思っている。一応、フィッツジェラルドの遺族(お孫さんかな[exclamation&question])は、初演を観劇して納得されていたとか聞いたし。
最後に、ヘンリーが持参した若きギャツビーの書き残した「日課」の文が紹介され、ギャツビーの来し方の幻影が現れる。そして最後にギャツビーが現れ、「朝日の昇る前に」を歌う。このパターン、初期の小池作品のパターンだったよな~とか、思い出した。(JFKも同じパターン)


フィナーレとっぱしのソロは、鳳月杏の「時は戻らない」。でか、プログラムに「歌唱指導」ってあるんですけど[exclamation×2]誰に指導してるの[exclamation&question]むしろ、ちなつちゃんになら、スパルタ指導してほしい…[黒ハート][黒ハート][黒ハート]
とはいえ、フィナーレは、手堅かったですね。
エトワールの一乃凜ちゃん。舞浜で目をつけたと思ったら、もうエトワールでびっくり。とっても素敵でした[るんるん]


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