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「豊饒の海」読破 [┣本・映画・テレビその他エンタメ紹介]

三島由紀夫の長編四部作「豊饒の海」シリーズの最終巻、「天人五衰」を読み終わった。初めてこのシリーズを読もうと思ったのは、宝塚で「春の雪」を上演することになった頃だから、足掛け9年になるということか。
最初は、「春の雪」を読めばいいと思っていた。それが、書店で「奔馬」を見かけて、試しに読んでみたところ、ハマってしまい、生田先生にお手紙まで書いた記憶がある。珠城りょう主演で「奔馬」を上演してほしい、飯塚勲役(「春の雪」の清顕が転生した存在)は、ぜひ朝美絢で[exclamation]という内容だったと思う。だから、まだあーさが月組で頑張ってる頃だったのだろう。実現したら、面白い舞台になっていたと思うが…。
続く「暁の寺」を読んだのは、だいぶ後のことになる。ここから転調して、転生した先が、タイの王女ということになったからだと思う。(あらすじは読んでいた。)
しかし、実際に、数年を経て読んでみると、これがめちゃくちゃ面白い。
それで、勢いがついて、「天人五衰」まで一気に読んだ。四部作が、綺麗に“起承転結”になっているし、転から結の間でまた新たな転調もある。すなわち、本多が80歳になり、どうやら最期が近づいたその時に、つまり、ここで何かが間違ったとしても、もう後戻りのできない状況になったところで、「見つけたと思ったさらなる転生者」がニセモノらしいという疑いが出てくる。
でも、本当に、アッと思ったのは、この小説のラストシーンが「昭和49年」である、ということだ。


昭和49年は、実際に存在した。
でも、三島は昭和45年に死んでいるから、その時点で、「昭和49年」は必定の未来ではなかった。
昭和天皇は、三島の死んだ年には69歳。私の祖父が、昭和40年代に69歳で亡くなっているので、その年齢なら病気で亡くなる可能性が増えてくることは予想できる。
作品の終わりが、書いている時点より数年未来になることは、小説でも、漫画でも、時々出てくる現象だ。現在の物語をリアルタイムで書いている作品のラストを、主人公の成長した姿で終わらせようとすると、未来の物語になってしまう。通常は、「〇〇年後ー」みたいな記載で済ませることが多いが、本作は、4年後の世界で書くことが多かったために、「昭和49年の…」みたいな表記をする必要があったようだ。
西暦で書く方法もあったと思うが、そこは、逃げなかった。
そこに亡くなる頃の三島の意識が色濃く出ていたように思える。三島は、「昭和49年」が来る確率を120%くらいに思っていたのだろう。
結果として、昭和は64年まで続いたのだが、「天人五衰」がSFにならないでよかった~と、令和に思う私であった。


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