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「VANITIES」観劇 [┣Studio Life]

The Other Life vol.10
「VANITIES」


作:ジャック・ハイフナー
翻訳:青井陽治
演出:倉田淳


美術/舞台監督:倉本徹
照明:山崎佳代
音響:竹下亮(Office my on)
衣裳:竹内陽子
ヘアメイク:川村和枝(p.bird)
宣伝美術:田代裕子
宣伝撮影:奥山郁
演出助手:宮本紗也加
版権コーディネート:シアターライツ
Special Thanks:カンパニー・ワン 土屋誠
制作:Studio Life、style office
協力:東容子、小泉裕子


スタジオライフ本公演とは別に、海外の優れた戯曲を紹介するシリーズ、「The Other Life」の記念すべき第10作に選ばれたのは、1970年代にアメリカでヒットしたコメディ「VANITIES」。
ただ、今回の作品、特にコメディ色を持った演出にはなっていない。


物語は、3人の女の子の1963年(ハイスクール)、1968年(学生寮)、1974年(キャシーのアパート)を一気に描く。三人は舞台後方の物陰で着替え、次のシーンに臨む。つまり、ほぼ出ずっぱり。誰がヒロインというわけでなく、三人が均等に役の比重を担っている。
1963年-
三人は、ハイスクールのチアリーダー。
チアリーダーは、ひとつのステータスらしい。可愛くて、リーダーシップがあって、普通の高校生とは違う特別な存在だと、本人たちも自負している。
三人はそれぞれ、フットボールチームのメンバーと付き合っている。今の彼女たちにとって重要なのは、どうやって最後の一線を守ることができるか、すべてを許さずに男の子の気を引き続けることができるか、ということ。その保守的な考え方に、彼女たちがいわゆるWASPの模範的な家庭に育ったことがうかがえる。
そんな悩みも抱かずに気持ちの赴くままに青春を謳歌しているクラスメイトを「尻軽」と軽蔑し、暴走しがちな男の子を、どう手懐けるか、三人は知恵を絞る。
ただ、大枠は一致していても、そんな中に、既に分岐の萌芽は読み取れたりする。
「私とテッドは、そういうことはしない」と言い切るジョアン(関戸博一)。でもテッドは尻軽と呼ばれるサラと歩いているところを目撃されていたり。プレゼント次第で少しずつ許す範囲を広げているメアリー(山本芳樹)。ほしいものはいっぱいあるのに、もう許せる部分は数少ない。そして、何も語らないけど、ドライブインシアターで、車が大揺れするほどの何かをやっているキャシー(曽世海司)。
秘密があったりなかったりしながら、それでも三人には、目の前にやることがいっぱいある。
次の試合のこと、パーティーのこと、そして進学のこと。大学生になったら、チアリーダーになって、勉強して。キャシーは体育、メアリーは心理学…ジョアンは勉強したいことなどないが、二人と同じ大学に進学したい…。
騒ぐ三人のところに校内放送が入る。大統領暗殺の知らせだった。学校は午後休みになった。三人は、フットボールの試合が中止にならなくてホッとしたのだった。
1968年ー
三人は、同じ大学に進学し、今は、カッパ女子寮を仕切る最高学年。卒業後の女子寮の行末を心配している。
もちろん、自分達の行末にも不安はある。仲良しトリオも、いつまでも一緒にいられない。メアリーは、外国に行こうとしている。ジョアンはテッドとの結婚が決まっている。キャシーは、教師にでもなろうかな…と。
三人は、相変わらず、憧れの女子像を体現しているが、少し綻びも感じている。
大学では、チアリーダーにはなれなかった。ジョアンとメアリーは、それほどチアリーダーに興味がなかったようだが、キャシーは、たぶん鼻っ柱を折られたのだと思う。ハイスクールのリーダーでも、大学レベルは違う…と。しかも、キャシーは、ハイスクール時代から5年も付き合ってきた、ゲイリーに裏切られていた。
大学生になった後、キャシーとゲイリーは一線を超え、以来、キャシーはピルを飲んで避妊をしていた。が、ゲイリーは、別の女性を妊娠させて結婚してしまったのだ。ゲイリーの裏切りと、必死に避妊していたために結婚を逃した現実に、彼女は打ちのめされた。
メアリーは、ハイスクール時代のボーイフレンドに固執することなく、恋愛遍歴を繰り返していた。
ジョアンは、テッド以外目に入らず、ひたすら結婚する日を楽しみにしている。しかし、彼女は、セックスには全く興味がない。テッドが学生運動をしているのも実は気に入らない。なんで関係ない人のために戦わなくちゃいけないの[exclamation&question]
1974年ー
キャシーのアパート。久しぶりに三人が集まることになった。
ジョアンは、長い髪をゆるく結んでいるが、道に迷ったせいか、少し髪が乱れている。ブラウスにスカート、一応真珠のネックレスはつけている。最初は、紅茶を所望するが、すぐに気持ちが変わってシャンパンを飲み始める。
遅れてきたメアリーは、ビビットなカラーのワンピースを着こなし、高価な買い物をいくつもしてきたらしい。彼女は、卒業後、ヨーロッパで生活していたが、現在はニューヨークで画廊を経営している。キャシーは、ブルーのシックなワンピース。生活感のない装い。
ジョアンは、テッドと結婚、三人の子供がいる。テッドジュニアと、キャシーとメアリー。二人の女の子には親友の名前をつけた。
教員になったキャシーは、ここでも傷ついた。いつもリーダーとして、人々を指導していたキャシーには、ハイスクールに入っても何もしたくない生徒が理解できず、職場で浮いてしまったのだ。
退職したことを打ち明けるキャシーに、ジョアンは、じゃあ、あなたはこれからどうするの[exclamation&question]と執拗に問いただす。しかし、メアリーは、部屋の調度などから、キャシーが、誰かに囲われていることに気づいたのだった。まさかキャシーが不道徳な人生を送っていることにショックを受け、メアリーからは、夫のテッドと関係を持ったと匂わせる発言をされ、ジョアンはブチ切れて帰っていく。
残ったキャシーとメアリーは、アンニュイに話を続けるのだったー


いやー、めっちゃ面白かったです[黒ハート]
これ、女優が演じたら、けっこうエグい話で、直視できなかったかもしれない。
男性が演じる女性だからこそ、客観視できるというか、三人が、どこまで本音で語っても、どこか自分を保って観ることができた。
「VANITIES」…Vanityとは、虚栄・自惚れという意味だが、もうひとつ、空虚・儚さという意味がある。
最後に、「バカ話をしたかっただけ」みたいなセリフが出てくるが、これも、「VANITIES」なのかな、と思った。1974年の場面、彼女たちはまだ28歳なのに、まるで人生の終わりのように空虚な佇まいを見せている。
それは、なぜなんだろう[exclamation&question]
自分の生きたい道ではなくて、人からどう思われるか、だけを考えて生きてきて、疲弊してしまったのだろうか[exclamation&question]
自分さえよければ…と、他人(クラスメイトなど知り合いであっても、ベトナム戦争の犠牲になる全く知らない他国の人々であっても)をないがしろにしていたツケが回ったのだろうか[exclamation&question]卒業後、VANITIESを発揮する場面がなく、自分の価値が地に落ちたことに気づいたからだろうか[exclamation&question]
ハイスクールの時は、三人は、それぞれの個性はあれども、同じ形で虚栄心を共有していたし、それは外に向けられていた。
最終場面では、三人の虚栄心は、共有されるものではなくなり、そして、寂しいことに、それは互いに向けられていたのだ。「私たちは特別」と語っていたハイスクールの三人が、大学卒業の頃には既に、その言葉の綻びを感じ始めていて、それから6年後には、「あなたよりはマシ」だと思いたいレベルにまで摩耗していた。
なんという悲劇…


1974年に28歳だった彼女たちは、ロサンゼルスオリンピックの時には38歳、同時多発テロの時には55歳、今は73歳になるのかな。どんな人生を送ることになったのだろう。おばあさんになった今、それでも幸せな人生だった…と振り返ることができているかしら[exclamation&question]
長く上演されている戯曲は、そんな風に、戯曲自体が年輪を重ねるものなのかな…なんて考えた夜だった。
この作品を翻訳し、早い段階で日本に紹介した亡き青井陽治さんにも観ていただきたかったな。
ちなみに、女性三人より、男性が演じた方がいい戯曲と書いたが、調べてみたら、ちゃんと3軒茶屋婦人会でも上演されていた。さすがです[exclamation×2]


ジョアン役の関戸は、一番振り幅の大きな役を、誠実に役作りしていた印象。誰よりも素直で、誰よりもウソのない学生だったジョアンが、自らの優位性を結婚していること、子供がいることにしか見出せず、幸せであることをことさら強調する姿の痛々しさ。夫との間の大きなすれ違いを見ないようにするため、キッチンドランカーになっているのかもしれない。メアリーの告白を聞いて、彼女の人生はどう動くのだろうか[exclamation&question]の後のジョアンが気になる…と思わせるところが、関戸の演技のポイントかもしれない。
メアリー役の山本は、抜群のスタイルで、各場面の衣装を着こなしていた。特に最終場面のワンピースは華奢な肢体を強調していて、とても似合っていた。ジョアンは、結婚を前にした大学生の頃からセックスに興味がないと言っていたが(結婚まで処女を守り通した)、三人の子供を持った今もなお、セックスは子供を作るための手段としか考えていない。一方のメアリーは、ハイスクール時代から、性への興味を隠そうとしていなかった。大学卒業後、ヨーロッパで奔放な生活を送り、現在はニューヨークで、ポルノアートの画廊を経営している。経営者であるというプライドと、女を武器にしてそれらを手に入れたことへの後ろめたさ。そして、ジョアンへの苛立ちを隠さない。でも、それは、6年も会っていなかった現実のジョアンへのそれではなく、妻に不満を抱いている(と、メアリーには言っている)夫のテッドから聞かされたジョアンに対しての…ということかもしれないが。ハイスクール時代から、身持ちの固いジョアンをキープしながら、“尻軽”と評判のサラと遊んでいたらしいテッドは、貞淑なジョアンを妻にしながら、奔放なメアリーとお愉しみらしい。ハイスクール時代は、たいして賢そうじゃなかったメアリーが、実社会の荒波を経て、賢く、強くなっていた。テッドの人間性にも気づきながら、ジョアンの偽善を暴く山本メアリーの姿は、鬼気迫るものがあった。そして、たぶん、メアリーは大丈夫だと、信じられる姿だった。
キャシーは、非常に賢い人なので、ハイスクール⇒大学⇒現在…と、自らが失ってきたものを、その都度、しっかり把握している。その結果、28歳にして、すっかり空虚になってしまったキャシー。キビキビして、計画性に富み、仕切り屋だったキャシーが、日々、何もしないでぼんやりと過ごしている…その変わり身を、曽世が見事に表現していた。彼女のような女性が、誰かの囲い者になる、というのは、自分の心を殺しているようにしか思えないが、そうやって、空虚(これもVanity)に流れていく時間が、彼女の傷ついた心を癒しているのかもしれない。モラトリアムが終わったら、また元気なキャシーになってほしい…そんな風に祈りたくなるような、こちらも痛々しい姿だった。


もしかしたら、女性なら、誰でも三人のうちの誰かに、あるいは、三人のそれぞれに、自分自身の姿を見出してしまうのかもしれない。よい観劇ができました[黒ハート]


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