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SHINGO十番勝負「ぼくらの時代」篇 その弐 [┣コンサート・スポーツその他のパフォーマンス]

以前、通っていた落語公演「SHINGO十番勝負」が装いも新たに帰って来た。その第二弾を見てきました。


この「SHINGO十番勝負」は、落語家の古今亭文菊さんが、先輩の胸を借りるというシリーズだった。SHINGOは、文菊さんの本名。その昔、「新吾十番勝負」という映画があったので、それにかけてるんですね。(昔過ぎて、かけてることに気づかない人が多いように思う…[爆弾]
十番を終了後、シリーズが一新され、今度は「ぼくらの時代」篇となった。
同じ世代の、違う分野の芸術家との共演。前回は、薩摩琵琶の女性奏者、そして、今回は、一中節の浄瑠璃語り、都了中さんがゲスト。
場所は、いつものエコー劇場ではなく、代々木能楽堂。2月以来の初台駅。新国立劇場とは反対側の南口にある。環状六号線・山手通りからすぐ…という位置なのに、まるで別世界がそこにあった。


代々木能楽堂2.jpg橋掛かり(左正面の廊下みたいなとこ[ひらめき])の前庭部分が屋外。なので、出演者はすごく寒いらしい…[爆弾]
客席側は、ストーブもたくさんあって、風がなかったこともあり、暖かく快適。座布団を敷いた座敷での鑑賞だったが、ゆったりと席が設定されていたこともあり、足が痺れることもなく(ずっと崩してたから…)そちらも問題なしだった。


「開口一番」は、前座の林家彦星さんによる「元犬」
「白い犬は人間に近い」と言われていて、来世は人間に生まれ変わりなよ~などと言われていた真っ白な犬が、来世のことなんか分からないから、今生で人間になりたい…と蔵前八幡に願をかけたところ、本当に人間になってしまった。そして…という噺。
デビューして2年とちょっとなのかな[exclamation&question]
登場は橋掛かりから…なので、通常の寄席の袖から…とは、距離感が違うため、心細そうに高座に上がった。
口跡はよく、噺もこなれていたと思う。またの登場をお待ちしています[exclamation]


代々木能楽堂1.jpgちょっと、橋掛かりの写真も載せます。
左側の屏風の後ろから登場する。けっこう長いですよね、距離。
文菊さんも、ここから登場。ちょっと屈んだような感じで歩いていらっしゃる。


文菊さんの一本目の噺は、「金明竹(きんめいちく)」。
与太郎が店番をしていると、雨が降って来て軒を貸してほしいという男が現れる。“軒を貸してほしい”の意味が分からず、妙な押し問答があった後、傘を貸してやる与太郎だったが、店の主人は、自分が大事にしていた傘を与太郎が貸したことにお小言。傘を貸すのを断る口上を指南する。
ところが、与太郎は、ネズミを追いつめたのでネコを貸してほしいと現れた近くの店の番頭さんに対してこの口上をやってのける。曰く「うちの貸しネコは、この間の長雨でバランバランになって、骨と皮にばらして物置に放ってある」と。
それを聞いた主人は、とんでもないことを言うヤツだ!と、ネコを貸してほしいと言われた時の断り方を指南する。
すると今度は、店の主人をお借りしたい、という客にこれをやってしまう。曰く「この間からサカリがついてとんと帰って来ない。やっと帰ってきたら、エビのしっぽでも食べたのかお腹を壊して粗相をするので、マタタビを舐めさせて奥で寝かしています」と。
こんな風にとんちんかんな与太郎だが、文菊さんの与太郎は、頭は悪いが、自分がどういう目にあっているか、については、ちゃんと認識していて、小言ばかり言う主人を疎ましく思ったりしている。そのくせ勉強嫌いで、努力が嫌い、人の好意を曲解する…というクセの強いキャラクターで、それが面白い。
後半は、この与太郎だけでなく、おかみさんまで巻き込んで、上方の商人のような男が早口で業界用語(お店は骨董屋)だらけの口上を聞かせ、その外郎売のような立て板に水のトークが聞かせどころになっている。(計4回繰り返す)
そして、最後は与太郎ではなく、おかみさんのセリフにサゲがある…という一風変わった仕掛けになっていて、与太郎がアホというだけの噺になっていないところが面白い。
そして文菊さんの、アホだけどちょっと意固地でめんどくさい与太郎、上品だけど実はそんなに賢くない、でも与太郎の前では威張っているおかみさん…みたいな毒のある話芸もまた一風変わっていて面白かった。


代々木能楽堂4.jpg休憩前には、ゲストの都了中さんとのトーク。
一中節というものの成り立ちや、どんな風に修行をしていくとか、今日の楽曲(石橋)の解説など、色々勉強させてもらった。
一中節は、浄瑠璃語りのひとつだが、文楽や歌舞伎のような舞台ではなく、主にお座敷で披露されているようだ。一中節は、三味線と語りで構成されるが、了中さんのお父様が、現在の家元、都一中さん。(十二代目)
お父様は三味線方なのだが、了中さんは語りをされている。
どちらでもやりたい方をやれる…ということらしい。


ここで少々休憩があったので、代々木能楽堂の写真を色々撮ってみた。
歴史を感じる建物です。


休憩後は、都了中(語り)都一志朗(三味線)による「石橋」。
歌舞伎などでよく観る、あの「石橋」が語りだけで表現される。
大江定基は出家して寂昭法師となった。中国から天竺(インド)に渡り、仏跡を巡り、ようやく清涼山に辿り着いた。目の前に有名な「石橋(しゃっきょう)」がある。
寂昭法師は、現れた山人に、くれが石橋か?と尋ねる。
たしかにここが清涼山であれが石橋なので、よく拝みなさいと言われ、あれが石橋なら、渡ろう[exclamation]と思う寂昭。が、山人に止められる。
難行苦行を積んだ高僧もこの橋を渡れた者はいない。橋の下は数千丈の谷底。悪いことは言わないからやめなさい、と。
寂昭は、橋というのは、人が渡るためのものではないか、と食い下がるが、山人は、そもそもこの橋は、人が渡したものではなく、自然にできたものなので、人が渡れるものではないのだ、と説く。しかし、文殊の浄土には美しい音楽が流れ花が降りかかり獅子の王が舞い遊んでいるとか、その時を待つのです、と言われ、寂昭は、座して時を待つ。
はたして、いつしか、獅子が現れ牡丹の花と戯れている。そして…


宝塚100周年の日本もののショーを思い出してしまった[黒ハート]


文菊さん、別分野の方のパフォーマンスの後は、たっぷりと枕を取る。
落語の世界に客席が自然に戻って来るのを待っているようだ。その姿は、時を待つ寂昭法師のよう。
代々木能楽堂3.jpgが、非情にも、この代々木能楽堂、住宅地の中にあるため、21時終演を1分も遅れてはならないのだ[exclamation]
ということを正直に告白した後、語り始めたのは「夢の酒」。
うたた寝の中で、どこぞの色っぽい御新造さんに誘惑されたという若旦那。女房のお花が起こすと、どうも様子がおかしい。でれでれしている。
不審に思って、夢の話を聞くと、今度はお花が怒ってしまう。
夫婦喧嘩に割って入った父の大旦那に、お花はお願いする。若旦那の夢の中に入って、その御新造さんに、うちの人を二度と誘惑しないでほしいと頼んでくれ、というのだ。
“淡路様の上の句”というのを唱えると他人の夢の中に入れるんだとか。
はたして、大旦那、御新造さんのところに到着する。息子の若旦那は、お酒に弱いが、大旦那はお酒が大好き。御新造さんもさっそくお酒を勧める。最初は固辞している大旦那だが、それじゃ、少しだけ…とその気になる。ところが、女中が火を落としてしまったので、燗が出せない。
冷でいかがですか、と勧められるが、大旦那、酒は燗と決めている、とかなり頑固に断る。そうして、しばらく待っている間に、お花が大旦那を揺り起こしてしまう。
目覚めた大旦那、「冷でもよかった」という酒飲みらしい一言でサゲとなる。短い中に、ちゃんとストーリーの起伏があって、実に面白かった。


今回は、どれも知らない噺ばかりで、一中節もお初で、代々木能楽堂も初めて。何もかもが異空間で、とても面白い一夜だった。


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