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谷崎潤一郎「卍」読了 [┣本・映画・テレビその他エンタメ紹介]

久々におススメ本の紹介です。



卍(まんじ) (新潮文庫)

卍(まんじ) (新潮文庫)

  • 作者: 谷崎 潤一郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1951/12/12
  • メディア: 文庫


昨年3月、舞台「真説・春琴抄」を観た時、谷崎潤一郎って面白いかも…と思い、ちょっと谷崎作品を読んでみようかな…と、書店でパラパラ本をめくること30分、一番気になった作品がこれでした。


この「卍」は、とある夫婦と独身女性の、計三人が服毒心中をして、奥さん一人が助かったという三面記事のような事件の後、渦中の奥さんが、「先生」という人物に語って聞かせた一部始終を「大阪の話し言葉」で書いた小説。
この「大阪の話し言葉」による独白体小説というのが、読み進めるうちにクセになって来る。
独特の話し言葉ゆえに、意味不明の単語が出てきたりするのだが、その辺は、丁寧に注釈がついている。そして、上流階級の有閑夫人が話し手になっていることから、当時の日本では相当タブーなテーマであるのに、書き方はスキャンダラスではなく、読みやすい。そして、今から90年前に書かれたとは思えないほど、新しい。
性的多様性が叫ばれるようになったのは最近のことだが、90年前にこのような作品が世に出ていたのか…と、感心した。


ヒロインの園子は、上流階級の奥様。夫は開業の弁護士で、二人が裕福に暮らせるのは、園子の実家からの援助のおかげ。
家には使用人もいるので、家事などをする必要もなく、園子は、女子技芸学校という専門学校に通うようになる。そこで、絶世の美貌を持つ、光子に出逢う。最初は、その美貌に憧れていた園子だったが、二人が同性愛の関係にあるという噂が流れ、驚いたり、困ったりしている間に、当の光子から声を掛けられ、すっかり意気投合してしまう。
その光子には、病気をしたせいで性行為を完遂できない恋人がいて、最初はそのことを隠しながら、園子と付き合っていたが、途中でバレてしまい、園子は、夫も巻き込んで彼女を恋人と別れさせることに成功する。ところが、その直後、光子は夫と肉体関係を持ってしまい、光子を中心とした三角関係の中、とうとう三人で心中することになる。


二人の人間が好き合って、交際する。
小説などでは、その精神的な恋愛部分を大きく膨らませて描くことが多い。
もちろん、どこかで、二人は肉体的にも結ばれることになるわけだが、それは、精神的な思いを深くする材料に過ぎない。
しかし、この「卍」では、精神的にはお互いを好ましく思っている夫婦が、性的な意味で全くうまくいかない。そのことで、精神的な愛も揺らごうとしている…みたいなことが、さらっと書かれている。
また、性行為を完遂できない男性が登場し、もう一人のヒロインである光子は、処女のまま、その男性に肉体を弄ばれ続け、それゆえに男を精神的には軽蔑しながら、肉体は、男の誘いに乗り続けてしまう。こういう女性を観音様のようだ…として描くのも、一風変わっている。
このような光子と園子が、女性同士で性愛の関係を結んでしまうのは、レズビアンの女性が詠んだら、これは、本当のレズビアン小説とは呼べない…と言うかもしれない。つまり、夫と性的にうまくいっていない妻が、本格的に浮気をするリスクはとりたくないから、相手が女性なら罪が軽いだろうと思って女性と肉体関係を結ぶ話と、嫁入り前でまだ処女なのに、悪い男の手練手管に嵌まって、性的な刺激なしには生きられない身体になってしまったので、同じ刺激を女性から受けようとする話だから。
でも、たぶん、谷崎潤一郎には、同性愛の性的な行為をこの二人が、つまり、平凡な妻と、深窓の令嬢が、どうして実際に行うことができたか、はなはだ不安だったんじゃないかな、と思う。その行為をどうやって習い覚えたか、その理由を考えてこのような設定にを作り出した部分もあるのかな…と感じた。
少なくとも語り手の園子夫人は、本当に光子のことを愛していたと思うし、彼女自身が、そもそも同性愛者だったのだろうと思う。時代的に気づけなかっただけで。
一方の光子は、もしかしたら、バイセクシャルで、奔放な女性になり得たのかもしれない。心中してしまったので、わからないが。


昔の小説を今の目線で読み直し、解釈しなおしてみるのも、面白いな…と思った。
しっかりした作家の、しっかりした小説は、それに耐えうるものなのだ。


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