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祐飛さんの思い出(14) [┣祐飛さんの思い出]

(14)2010年


2010年は、「カサブランカ」の東京公演から始まった。
寒かった。出待ちが寒くて、出が遅かった。そういえば、この公演中、東京駅近くのスポーツジムに入会して、公演を観ない日は、お風呂に入ってから出待ちに行った記憶が…(笑)
あとは、初めて両親を連れて観劇したことも思い出かな。「カサブランカ」だったからこそ観てくれた父親が宝塚を理解することはありませんでしたが…。(期待してなかったよ…[爆弾]


3月、シアター・ドラマシティ公演『シャングリラー水之城ー』。
核戦争後の近未来を描いたドラマで、祐飛さんは、記憶を失くした青年・空役。
祐飛さんは、Wのピルエットが回れないという、タカラジェンヌとしては致命的なダンス能力の持ち主(※微妙に回り切った映像もあるのだが、基本的には…ね)だが、振付にWのピルエットが入った場合に足をつきながら回る、独特のターンをする。で、その祐飛さんターンみたいなものが振付に取り入れられる…という、KAZUMI-BOY先生、優しいのか鬼なのかわからないオープニングナンバーに震える…[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
しかし、この微妙なターンも、ダンサー・蘭寿とむ氏が踊ると、超絶かっこいいのだった[黒ハート]
ちなみに、この作品、楽曲として、ピアノとカホンの2人組“pia-no-jac”さんのナンバーをフルサイズで使っている。この2曲続けて踊るとふらふらになるような長くて激しいナンバーを、出演者は公演前のウォーミングアップにやっていたとか[爆弾]
皆さん、体力があるのね…[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]祐飛さんも、よく頑張った…[パンチ]
とはいえ、ものすごいビジュアルのカッコよさに、千秋楽、次に演ってほしい役は、ラインハルトだな…と呟いたのを覚えている。
日本青年館で東京公演あり。年度末の忙しい時期に通い倒した思い出と、たしか千秋楽が4月2日だったんだけど、ちゃんと3月31日でポイントカードが切り替えられて、ここのファンクラブは、さすが会社と言われるだけのことはある[exclamation]と、妙な感心をしたのを覚えている。


5月、大劇場公演『TRAFALGAR(トラファルガー)-ネルソン、その愛と奇跡ー/ファンキー・サンシャイン』。
齋藤先生のお芝居は、齋藤先生の祐飛愛に溢れたビジュアル重視の作品。隻眼のまま台に登らせたり、隻腕で踊らせたり…と、危険なこともやらされたが、無事にネルソンを演じ切った。
鬘の色へのこだわりとか、ハンパなくて、祐飛さんも頑張ったと思う。
ショーは石田先生の祐飛愛たっぷりの作品。先生に作ってもらったDS「SPARK!」シリーズからブレない石田先生から見た祐飛さんの魅力に溢れていた。あのテーマソングは、宝塚史に残ると思う。
7月~8月が東京公演。時期的にもピッタリだったのね。あんまり覚えてないってか、東京公演の初日が大雨で、出待ちが中止になったことだけは、すごく覚えている。夏なのに、すごく寒かった…[もうやだ~(悲しい顔)]


9月、全国ツアー公演『銀ちゃんの恋』。
フィナーレナンバーはあったが、1本物の、しかも、「銀ちゃんの恋」で全国ツアーとは、宝塚史上、これも珍しいと思う。
しかも、これがトップとして唯一の全国ツアーだし。
怒鳴り散らす場面が多いので、どうしても声を痛めがちな「銀ちゃんの恋」だが、ツアーは間に休みが入ることが多いので、最後まで声も保って、結果的には、宝塚作品として新しい境地をお見せできてよかったのかな…と思った。


11月、お披露目公演からちょうど一年目を祐飛さんは、大劇場3作目上演中に迎えた。
『誰がために鐘は鳴る』
初演の鳳蘭さん、遥くららさんが稽古場を訪問されたり、役のために髪を切ったすみかちゃんの断髪式(?)に帯同したり、色々と話題の公演。そして、ゆひすみの夫婦漫才が「らしく」なった…というか、二人のやり取りを、舞台以外の部分でも安心して見られるようになったのが、この公演だったような気がする。


 2010年 『カサブランカ』(東京宝塚劇場)『シャングリラー水之城』(シアター・ドラマシティ→日本青年館)、『TRAFALGAR/ファンキー・サンシャイン』(宝塚大劇場→東京宝塚劇場)『銀ちゃんの恋』(全国ツアー)、『誰がために鐘は鳴る』(宝塚大劇場)


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