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シアタートラム「女中たち」観劇 [┣矢崎広]

「女中たち」

作:ジャン・ジュネ
翻訳:渡邊守章(岩波文庫版)
演出:中屋敷法仁

美術:土岐研一
衣裳:太田雅公
照明:松本大介
音響:鈴木三枝子
ヘアメイク:小林雄美
演出助手:入倉麻美
舞台監督:白石英輔+村田明

この演目を知ったのは、数年前、Studio Lifeの石飛幸治と林勇輔が外部の女優さんと三人芝居をすることになり、行こうかな、と、タイトルを覚えた。結局スケジュールの問題で行けなかったのだが、その公演、もうチラシも配布している段階で、あわや上演中止になりかかった。結局、「今回限り」ということで、上演できることになった、という、ひやひやものの公演で、その理由が「男女混合キャスト」だったらしい。
そもそも、「女中たち」は、三人の女性のみによる演劇。だから、三人の女優が演じる、というのが普通だと思うが、三人の男優で上演することも多い。3軒茶屋婦人会(篠井英介・深沢敦・大谷亮介)もやっているし、元祖声優アイドルの井上和彦・三ツ矢雄二・水島裕でも昨年上演した。
なのに、混合はダメなんだー[exclamation&question]と、その時、思ったのだが、きっと、女中姉妹を男女が演じることはダメなのだろう。男二人女一人という出演者だったので、版権者は、当然、女中二人を男優、奥様を女優が演じると思い込んで許可したのだろう。まさかねー、石飛さんが奥様を演じるとは思わないわよね、普通[爆弾]

で。
今回は、二人の女中役を20代のイケメン俳優が演じる…というところが、新しいのだと思う。しかも二人は、女性らしい恰好では登場しない。黒のワンピース姿は、まったく女性のワンピースには見えない、囚人服のような見事な裁断だった。クレールが奥様に扮する場面では、白のスリップ姿になるが、プログラムによると、そのシーンのために背中の筋肉を鍛えるように…という演出家指示があったそうだから、むしろ女性的なものを排除しようとしているようだ。

舞台の三方を囲むように、青い鉄柵のような装置。そこに、小物類がディスプレイされている。二人の女中たちが中に登場すると、それは彼らを囲む牢のようでもある。もちろん、そのままでは彼らが見えないので、開演時間になると鉄柵の上部分が吊りあがるようになっている。
あ、そうそう、大事なこと。この公演は、二人の女中役を、二人の俳優が役替りで演じている。

冒頭、黒のワンピースで登場した二人のうち、一人がワンピースを脱ぎ、白のスリップ姿になる。ここで、客席に背を向けて、背筋をアピールする。
白のスリップ姿になった方が「奥様」、黒のワンピースの方が「女中のクレール」として、物語は始まる。
奥様は、ネチネチと女中を責める。女中は、「はい奥様」と言ってやり過ごそうとするが、うまくいかない。奥様は、女中が、牛乳配達の男とデキている、と言ったり、女中部屋は臭いと言ったりする。女中は奥様に赤いドレスを着せかけたりするが、やがて二人は口論になり、女中が奥様を扼殺しようとしたところで、目覚まし時計が鳴る。
「奥様ごっこ」の終了ということらしい。
「ほんものの奥様」が帰ってくる時間が近い。
二人は本来の自分に戻る。「奥様」はクレールに。「クレール」はソランジュに。
「ごっこあそび」は、演劇でいうところの「エチュード」だ。即興かつぶっつけ。自分の台詞は自分が考える。おおまかな枠はあっても設定は細かくされていないから、当然、参加者の分だけ世界が存在するが、誰かが台詞にした瞬間にそれが共有事実となり、次に台詞を言うものは、その上に立った台詞が要求される。たとえ、納得できなくても。
「ごっこあそび」が終わった後は、「あそこであんたがあんなことを言うから…」という糾弾大会。そこが「おままごと」ではなく「エチュード」だなーと思うところだ。
クレールとソランジュは姉妹で、ソランジュが姉。二人は、「奥様」の下で働く女中たち。奥様への不満は相当に深いらしく、先日、この二人は、とうとう、「旦那様」を無実の罪で告発してしまったらしい。
収監されている旦那様を思って、奥様は嘆き悲しんでいる。それを二人はこっそり楽しんでいるようなのだが、そこへ、当の旦那様から保釈された旨の電話が入る。
二人は、旦那様が釈放されて奥様と話したら、自分達の罪がすぐに露見する…と、怯え始める。そして二人は、奥様の殺害を計画する。
そこへ奥様(多岐川裕美)が帰ってくる。ホンモノの奥様と二人の女中の会話。やがて、旦那様が保釈されたことを奥様は知り、クレールが再三致死量の睡眠薬を入れたお茶を勧めるのを無視して、旦那様の待つ店へと行ってしまう。
絶望にうちひしがれた女中姉妹は、互いを罵り、やがて、ソランジュがクレールの首を締め…
そこからソランジュ一人のエチュードが始まるが、最後にクレールが目を覚まし、自らお茶を飲むところで芝居は終わる。

ソランジュはクレールを殺して(?)からの長台詞が見どころで、クレールは奥様に扮してのひと芝居が見どころ…かな[exclamation&question]どちらもやりがいのある役だと思うが、これは、同じ土壌に咲く花で見たい芝居だと思った。
矢崎広は、3年前、「マクベス」で堂々主演しているように、セリフ術に長けた俳優感情にまかせてセリフを言い放っても、ひとつひとつの言葉がハッキリと観客に伝わる。
一方の碓井将大は、たしか「キサラギ」「ピアフ」で観ていると思うが、演技派の美男俳優である。が、セリフ術には長けていないらしい。長台詞が上滑りになり、何を言っているのか、よくわからない。ソランジュ一人のエチュードは、ぼそぼそと絞り出すように放つ台詞が魅力的だったので、彼の本来の魅力とは違う部分で勝負させられたのが気の毒に思えた。
二人を起用した演出家の中屋敷は、俳優でもあるが、一度朗読を聞いた限りでは、彼自身が台詞が上滑りになるタイプの役者だった。だから、今回も、台詞ひとつひとつの発音よりは、テンポ感を重視した演出になったのだろうと思うが、私が思うには、この芝居は、非常に台詞劇という側面が強いので、台詞が聞き取れない点で、碓井に厳しい評価が想像できてしまって、残念。
私自身、長年、台詞に難のある方を応援し続けてきたので、台詞がすべてじゃないってのは、すごい思ってるわけです。別に読み聞かせを聴きに行ってるわけじゃないので。
ただ、台詞を一言一句聴かせる必要のある舞台というのも存在するわけで。
今回みたいに、設定が不思議なものってのは、とりあえず安心するためにも、台詞が聞き取れることは重要だなーと、あらためて思った。役替りは両方観劇したので、結局全部の台詞が聞き取れ、その上で、やっぱ謎な部分は、残ってるんだけど、それは、聞き取れているから、自分の聞き逃しじゃないってことに安心はできるわけで。(自分の頭が悪くて理解できないという問題は残りつつも。)
内容に踏み込む前に、そういうところでストレスがたまってしまい、集中できなかったのは、残念だった。

さて、昨今の上演作品を思うと、3軒茶屋だったり、アラカン声優だったり…と、グロさが求められているのか?という気もするこの作品、若手のイケメン俳優+美人女優の多岐川ということで、グロはまったくない。
となると、猛烈な痛みを伴う芝居だった。
これは時代劇ではないので、奥様と女中たちの間には、明確な身分の差はない。
にも関わらず、「奥様」と「女中たち」の間には、中世のような身分差が存在している。超えられない壁。それゆえの愛と憎悪。その一方で、二人の女中、ソランジュとクレールの間にも、愛と憎悪が渦巻いている。クレールはソランジュが「姉」であるがゆえに、奥様>ソランジュ>クレールというカーストの最下層になってしまい、はけ口がない。それがクレールのソランジュへの憎悪になっている。一方、ソランジュはクレールの若さが憎い。ほんの何歳か違うだけで、彼女達の狭い世間に住む男たちを取られてしまう。男たちは、財力なら奥様、若さならクレール…というわけで、ソランジュのところには誰も寄りつかない。彼女は何も持っていないのだ。
そんなことは、彼女達がこの閉鎖された世界を出ていけば、なんでもないことであるはずなのに、彼女達はこの世界に閉じこもり、出ていかない代償に、互いを傷つけ、ついには命までも奪い合う。
奥様は、天然に、何も知らないまま、姉妹のどす黒い欲望のすべてを暴き、二人を殺し合いの場に取り残して去っていく。そして、奥様の胸には、二人への悪感情などみじんもない。奥様は、奥様なりに、二人には慈悲をもって接しているつもりなのだ。もちろん主人として、ちゃんと見ていますよ、というアピールはするけれど、それは、ごくありふれた形式的なものだ。
しかし、心にやましいものを持つ姉妹は、奥様の指摘をすべて自分たちへの告発であると感じ、自分達を追い込んでいく。かつては、つらいお屋敷勤めのガス抜きだったかもしれない「ごっこあそび」は、自らを追い込むためのツールとして機能していく。
罵り合いの果てに、ソランジュに責め立てられ、首を絞められたクレールは、息を吹き返した後、ひとつの結論に達する。
奥様を殺すために煎じた菩提樹茶を飲むこと―そして、ソランジュは、煩悶の末、この結論を受け入れ、芝居は終わる。

閉じ込められた空間の中で、互いを傷つけることで、自分が傷つくことを繰り返す姉妹の姿は、小さなムラ社会におけるイジメの構造を凝縮しているかのようで、胸が痛い。三方から見つめる観客が、世界は広いんだよ、と伝えても届かないもどかしさ。檻の中で、勝手に小動物たちは殺し合い、自滅してしまう。
面白い芝居だなーと思うし、これは、キャストによって全然違う芝居になるだろうなと思った。
おじさん三人で演じたら、もっと醜悪で、もっと笑いが取れるに違いない。しかも、奥様を男性が演じることで、世界観が完全に閉鎖され、奥様も含めて、大きなごっこ芝居の中で、劇中劇を演じているような空間が作れるかもしれない。
今回は、若手の俳優2名と、美人女優という組み合わせで、表面的な笑いという要素を完全に排除したところが、挑戦だったように思える。
とはいえ、矢崎ソランジュの回で、笑いが起きていたのは、矢崎のセリフ術の巧みさにほかならない。
力任せな俳優という印象の矢崎だったが、変化球もいけるらしい。しかも、セリフの力だけだよー。なんか、そらおそろしい役者になりそうな予感。
クレールで演じた「奥様」の鬼気迫る感じも素敵だった。
碓井ソランジュもラストのゾッとするようなムードが印象に残ったし、クレールの最期も可愛かった。
ただ、二人の役者としての資質の違いが、いかんともしがたかった。

奥様役の多岐川は、嵌まり役だった。
全然違う世界に生きている感が素晴らしかった。
小劇場に出てみたいと思っていた…という、多岐川の心意気も素晴らしい。
その一方で、たぶん、松田美由紀とかも、似合うだろうなーと妄想。むしろ、家族で(松田龍平・翔太)出ちゃう[exclamation&question]


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