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日生劇場「嵐が丘」観劇 [┣矢崎広]

「嵐が丘」

原作 エミリー・ブロンテ
脚本・演出 G2

たしか、「ジェーン・エア」を観たのもこの劇場だったよなぁ~[わーい(嬉しい顔)]
決して小説家としては好みではないブロンテ姉妹の作品を、何の因果か舞台では両方観てしまうとは…ということで、そもそも「嵐が丘」を大学の2ヶ月間の夏休みの間に(宿題にもかかわらず)読み終われなかった私としては、最初からアウェー感満載で劇場に向かった。
読書好きな私なので、読み始めて挫折した本は少ない。
でも、耐えきれなかった。嵐が丘の厳しい自然の中に生きる「一人ではないのに孤独な人たち」の、「他人を傷つけることで自分が傷つく」連鎖。こんなに痛い物語があるのだろうか、と思って暗鬱たる気持ちになり、挫折してしまったのだった。

舞台版は、堀北真希主演…主演…でも、死ぬぞ、キャサリン、真ん中くらいで…いいのか[exclamation&question]と思ったら、本当に真ん中くらいで死んだ。
…というわけで、厳密に言えば主役は山本耕史(ヒースクリフ役)だった。(主演と主役が違うことは、芸能界ではよくあることだ!)
しかし、なんで、堀北主演で「嵐が丘」なんかやったんだろうか[exclamation&question]
今回の舞台を観た一番の感想はそこだった。
「イケメンパラダイス」も見てたし、「梅ちゃん先生」なんか毎朝見ていた私は、決してアンチ堀北ではない。むしろ、あの間延びした台詞回しのヘタウマ演技を愛していると言っていい。
しかし、キャサリンは違うだろう…[爆弾][爆弾][爆弾]
堀北主演で文芸ものを…的な選択でこの作品が決まったのだとしたら、ほかにいくらでも文芸作品はあるのに…と思うし、「嵐が丘」の舞台化に当たって、キャッチーな女優を起用したいということで決まった配役だとしたら、ほかにいくらでもキャッチーな女優はいるだろうに…と思う。よりによって、堀北に、よりによって、「嵐が丘」…[たらーっ(汗)]

物語は、意外にも、長い原作をほどよくダイジェストして、小説と同じように進んでいく。
その、陰惨で、救いのない物語を、傍観者として、淡々と語る乳母ネリー役の戸田恵子。彼女の存在に救われる思いがした。一番台詞が多いのかもしれない、でも、素晴らしかった。役として生きていたし、でも物語ってくれた。長い長い物語を観客に伝えてくれた。
誰にも感情移入できないこの物語、私は、彼女に肩入れしながら観ていたような気がする。
小説同様、この土地にやってきたロックウッド(小林大介)という男に、召使いのネリーが、過去からの物語を聞かせるといった体で物語は始まる。戸田はナレーターと登場人物を兼ねた存在だが、それを見事にこなす。
ネリーの語る物語は、二世代に渡る愛憎の物語なので、登場人物には子役時代が存在する。この、子役の扱いが面白かった。子役の立ち位置の後ろに、成長後の役を演じる俳優が立って、大人の声で台詞を言う。立体紙芝居のようで、アイデアは面白いと思った。
そもそもどうしてこの愛憎ドラマが始まったのか…原作を読んだのは遠い昔だったので、あまり覚えていなかったが、この舞台はとてもわかりやすかった。
嵐が丘の主人、アーンショー氏が、旅先で見つけて引き取ってきた孤児にヒースクリフ(山本耕史)と名付け、実の子以上に可愛がった。
跡取りのヒンドリー(高橋和也)は、アーンショー氏の寵愛をかさにきてやりたい放題のヒースクリフが憎くてしょうがない。父が死んだら、すぐに復讐を開始する。
まずは「息子」ではなく、下男としての扱いに変える。妹のキャサリン(堀北真希)と親しくすることも禁じる。
けれど、禁じられれば禁じられるほど思いは募るもの…まだ恋とは呼べない感情だったものが、この非道によって、ヒースクリフの中で確固たるものに転じてしまう。ただの恋ではなく、激しい執着を伴った負の感情へ。ある日、ヒースクリフは出奔する。
当時、嵐が丘の館にとって、唯一のご近所さんといえる場所が、スラッシュクロスの館だった。
ヒンドリーが結婚し、キャサリンが年頃になる頃、一家はスラッシュクロスとの交流が始まる。
スラッシュクロスの当主には、エドガー(伊礼彼方)とイザベラ(ソニン)という子供たちがおり、エドガーは、美しいキャサリンに恋をする。
しばらく行方不明だったヒースクリフは、小金を貯めて嵐が丘に戻ってくる。その時から、ヒースクリフの復讐が始まる…
エドガーと結婚したキャサリンは、心を病み、キャサリン(キャシー)という名の娘を生んで死ぬ。
ヒースクリフは、ヒンドリーの息子、ヘアトンに教育を受けさせず、人間以下の暮らしをさせていた。
そしてスラッシュクロスを手に入れ、そこをロックウッドに貸したのだった。
ロックウッドが嵐が丘に泊まった夜、キャサリンの亡霊を見たと聞いたヒースクリフは、その晩、キャサリンを求め、そして亡くなっていた。
ヘアトン(矢崎広)はキャシー(近野成美)に勉強を習い、二人の間には、温かい風が吹き始めているのを、ロックウッドは知った。

「嵐が丘」の世界観を舞台化することは、とても難しいと思う。
でも今回は、舞台装置が素晴らしくて、ああ、きっと嵐が丘はこんな場所…というのが伝わった。
そして、それが伝わってなお、この厳しい自然が、人々の心まで荒寥とさせてしまう悲劇…は、伝わらなかった。
まあ、そもそものキッカケ的な部分は、分かりやすかった。アーンショー氏が、亡くなった長男のヒースクリフを忘れられず、町で拾ったみなしごの少年を溺愛したことがすべての原因。しかも、ヒースクリフと名付けられた少年は、その溺愛をかさにきて、正当な後継者であるヒンドリーをいじめていた…[爆弾]
そりゃ、ヒンドリーがキレてもしょうがないわ…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
でも、キャサリンという娘の激しさ、あれは、因果応報の物語とは別にあって、おそらく、嵐が丘という特異な場所で、ただひとりの女性として成長し、ある意味、嵐が丘の気候が彼女の母親であった…そんな女性なんじゃないかと思うのだが、堀北という女優の中に、そもそも、そういう要素が、まったくないのだ。
そうして、キャサリンは、死んで、嵐が丘そのものになる…[exclamation×2]んだと思う。
そこを切り離してしまうと、幼くて、愚かで、わがままで、自分で自分を制御できないだけのお子様になってしまう。そして、彼女が死んでからの物語はとても散漫で、ますます理解不能の物語になるのだ。

ヒンドリーと、ヒースクリフと、ヘアトン…Hで始まる粗野なだけの男たち。彼らに関わる二代のキャサリンが、それぞれの心にそれぞれの思いを植え付けていく。
中でもヒースクリフとキャサリンは、魂と魂が結びついていて、それを引き裂くことは誰にもできない。
ところが、キャサリンの中では、現世での愛や幸せは、それとは別のところにあるらしく、そこは娘らしい感情がちゃんと動いていて、綺麗なもの、立派なもの、美しい王子様に心を奪われる。
当然、魂の結びつきを、現世の肉体の結びつきに落とし込みたいヒースクリフとは、決裂する。
しかし、狂った末の彼女の若すぎる死は、再びキャサリンとヒースクリフを結び付ける。今度こそ永遠に。ただ、キャサリンが死んでから、ヒースクリフが死ぬまでの時間は、そのことで周囲がとばっちりを受ける。
その最たる存在がヘアトン。
彼は教育を受けさせてもらえず、動物のように生きることを余儀なくされる。ヒースクリフ自身が受けた屈辱を、彼は息子に継承させる。そうすることで、彼の父に復讐するかのように。

ストーリーを追いながら、かつて読んだ物語が鮮やかに蘇る。途中でリタイヤしたけれど、ストーリーがわかる程度には、ななめ読みはしていたから。
でも、読まずに観たらどうかな[exclamation&question]
キャサリンもヒースクリフもきれいすぎる気がした。
そんな中、彼らの魂を受け継ぐリトルキャサリンとヘアトンの物語が、とても正しく物語を伝承しているようだったのが印象的だった。

出演者は、とにかく、戸田恵子に尽きる。散漫になりがちな、キャサリンの死後を、最後まで見せたのは、彼女の力と言っていい。
そして、難しい命題をとにかく、板の上に乗せて成果を見せたG2演出と、嵐が丘という想像もできない風景を視覚化したスタッフの底力に、感謝の気持ちでいっぱいになった、そんな観劇でした[黒ハート]


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